6世紀
年表: 5世紀-6世紀-7世紀6世紀は501年から600年までの100年間を指す。
できごと
502年 - 中国の南朝が斉から梁にかわる。 513年 - 百済より五経博士が日本に来る。 520年 - インドのグプタ朝が分裂し、事実上崩壊。 523年 - 北魏で六鎮の乱が起こる 527年(継体天皇の21年)- 筑紫国造・磐井の反乱起こる(『日本書紀』)。 527年 - 東ローマ帝国でユスティニアヌス1世が皇帝に即位(- 565年) 528年(継体天皇の22年)- 磐井惨殺される。(『日本書紀』) 529年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がアテネのアカデメイアを閉鎖し、学者を追放する。 529年 - ベネディクトゥスがイタリアのモンテ・カッシーノに修道院を創設 530年 - ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成であるローマ法大全編纂を命じる(533年完成)。 531年 - ササン朝ペルシャ帝国でホスロー1世が即位(- 579年)。ササン朝の最盛期を迎える。 532年1月 - ユスティアヌス1世がニカの乱により退位寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの励ましによって武力鎮圧し、皇帝による専制支配を固める。 532年6月 - 東ローマ帝国とササン朝ペルシャとの間に「永久平和条約」を結んで東方国境を安定させる。 533年 - 東ローマ帝国、北アフリカのヴァンダル王国を征服。 534年 - 北魏が東魏と西魏に分裂 537年 - 東ローマ帝国でニカの乱で焼失した聖ソフィア大聖堂の再建が完成。 538年 - 日本に仏教伝来。百済の聖明王、仏像と経論を朝廷に送り、仏教が公伝される。(宣化天皇3年、欽明称制7年、上宮聖徳法王帝説、元興寺縁起)(日本書紀では欽明天皇13年(552年)とされる) 550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。 552年 - 北アジアで柔然が分裂する。突厥が建国される。 554年 - 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。 557年 - 中国で西魏に代わり北周が建国。 557年 - 梁にかわって陳がおこる。 559年ごろ - ササン朝ペルシャのホスロー1世が突厥と同盟してエフタルを滅ぼす。 568年 - ランゴバルド人がイタリアに侵入し、ランゴバルド王国を建国。 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。 580年ごろ - スラブ人が北ギリシャに侵入する。 581年 - 中国で楊堅が北周を滅ぼして隋を建国。 583年 - 突厥が東西に分裂する。 587年 - 蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす。 589年 - 隋が南朝の陳を滅ぼし、中国を統一。 590年 - ローマ教皇にグレゴリウス1世が即位。 592年 - 隋で均田法を施行される。 592年 - 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。 593年 - 聖徳太子が摂政となる。 598年 - 隋で科挙が行われる。高句麗遠征に失敗する。 600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣。(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない。) この頃から、畿内では前方後円墳がつくられなくなり、天皇陵含む大型古墳も方墳となる。関東で群集墳が盛んに造られる。
人物
ユスティニアヌス1世(482年 - 565年) - 東ローマ皇帝(在位527年 - 565年) ホスロー1世(? - 579年) - ササン朝ペルシャ帝国のシャー(在位531年 - 579年) グレゴリウス1世(540年 - 604年3月12日)- ローマ教皇(在位590年 - 604年) 楊堅(文帝)(541年 - 604年) - 隋の初代皇帝(在位581年 - 604年) 智顗(538年 - 597年11月24日) - 天台大師。
10年紀と各年
記事が少ない間、各年、10年紀は10世紀へのリダイレクトです。