ハイチ
ハイチ共和国(ハイチきょうわこく)、通称ハイチは、中央アメリカの西インド諸島にある国。ドミニカ共和国と国境を接し、海を隔ててキューバと接する。
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| 国の標語: L'union fait la force (フランス語: 団結は力なり) | |||||
| 公用語 | フランス語、クレオール語 | ||||
| 首都 | ポルトープランス | ||||
| 首都の座標 | 北緯19度0分 西経72度25分 | ||||
| 暫定大統領 | ボニファセ・アレクサンドレ | ||||
| 面積 - 総計 - 水面積率 | 世界第143位 27,750;km² 0.7% | ||||
| 人口 - 総計(2004年) - 人口密度 | 世界第91位 7,656,166人 276人/km² | ||||
| GDP (PPP) - 合計(2003年) - 1人当たり | 世界第121位 121億8,000万ドル 1,600ドル | ||||
| 独立 - 日付 | フランスから 1804年1月1日 | ||||
| 通貨 | グールド (HTG) | ||||
| 時間帯 | UTC -5 | ||||
| 国歌 | ラ・デサリエンヌ | ||||
| ccTLD | .HT | ||||
| 国際電話番号 | 509 | ||||
歴史
1492年にコロンブスがイスパニョーラ島を発見したとき、この島にはアラワク族が住んでいたが、それから四半世紀のうちにスペインの入植者によって絶滅させられた。その後、スペインはアフリカの黒人奴隷を使って主に島の東部を中心に植民地経営をしてきた。そのため未開のままであった島の西部をフランスが1659年以降徐々に占領していったが、衰退の一途を辿るスペインにはそれを追い払う余力はなく、1697年のライスワイク条約で正式に島の西側3分の1はフランス領となった。この部分が現在のハイチの国土となる。フランスはここを、フランス領サントドミング (Sant-Domingue) とした。この植民地は、多くのアフリカ黒人奴隷を酷使し、主に林業とサトウキビ栽培によって巨万の富を産みだした。
1789年からフランス本国では革命が勃発し、ハイチの黒人奴隷たちはその混乱に乗じて、1791年に反抗に転じた。白人の地主を処刑した後、フランスに宣戦布告したイギリスとスペインが、この地を占領するため派遣した軍を撃退。しかし、ナポレオンが本国から派遣した軍によって1802年に反乱は鎮圧され、指導者は逮捕された。ところが、新たな指導者の下で再蜂起した反乱軍は、イギリスの支援を受けて、1803年にフランス軍を領内から駆逐した。そして、1804年1月1日に独立宣言をし、世界で初の黒人による共和国が誕生した。
1957年に軍事独裁政権が樹立。1986年までという長期に渡り、デュバリエ父子主導の下、秘密警察トントン・マクートの暗躍する独裁体制が続いた。1987年に憲法が制定され、民主的選挙によって選出されたアリスティドが1991年に大統領に就任。しかし、同年、軍事クーデターにより、アリスティドは亡命。軍事政権は、国連及びアメリカ合衆国の働きかけと圧力を受けて、政権を返上。アリスティドは1994年に大統領に復帰した。1996年、アリスティド派のプレヴァルが新大統領になり、2001年には、再びアリスティドが大統領になった。
2004年現在、武力衝突中。2004年2月5日「ハイチ解放再建革命戦線」が北部の町ゴナイブで蜂起。アリスティド派民兵「人民機構」は市民を襲った。2月29日、アリスティド大統領は辞任し、隣国ドミニカ共和国へ出国、アレクサンドレ最高裁長官が暫定大統領になった。
政治
大統領は、全国民の選挙によって選ばれ、任期は5年。前回の大統領選挙は、2000年11月26に行われ、元大統領のジャン=ベルトラン・アリスティドが92%の票を獲得して、2001年2月7日から再度就任した。首相は、大統領の指名によるが、議会の承認が必要である。内閣の閣僚は、首相が大統領と協議して指名する。
議会は、両院制(二院制)であり、上院も下院も議員は、国民の選挙によって選出される。上院は、27議席、任期6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。下院は、83議席で、任期4年。
地方行政
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