パウロ
パウロは、初期キリスト教の最も重要な理論家のひとりである。「サウロ」とも呼ばれる。古代ローマの属州キリキアの州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。伝承によれば皇帝ネロのとき60年代後半にローマで殉教したとされるが、これを疑う者もいる。「サウロ」はヘブライ名で、これをギリシア語に直すと「パウロス」となる。 「サウロ」という名前は、使徒行伝にもよく出てきており、彼自身「パウロス」と自称することからすると、もともと、ギリシア名とヘブライ名の両方をもっていたのかもしれない。新約聖書『使徒行伝』によれば、ローマの市民権を生まれつきもっていた。 当初はパリサイ派に属し、エルサレムに勉強のため滞在していたおりにキリスト教と出会う。はじめキリスト教徒を迫害する側についていたが、のちに十字架から復活したイエス・キリストに出会い、キリスト教に転向した。この経験は「パウロのダマスカス途上での回心」といわれる。
その後、主にアンティオキアを拠点として小アジア・マケドニアなどローマ帝国内への布教活動を行った。ただし、イエス死後、信仰の道に入ってきたため、イエスの直弟子ではなく、「最後の晩餐」に連なった十二使徒の中には数えられない。
『使徒行伝』によれば三回の伝道旅行を行ったのち、エルサレムで捕縛され、裁判のためローマに送られた。
パウロの著作には新約聖書中『ローマ人への手紙』『コリント人への手紙』(二巻)『ガラテア人への手紙』『フィリピ人への手紙』『テサロニケ人への第一の手紙』『フィレモンへの手紙』がある。『コロサイ人への手紙』がパウロの真正書簡であるかは議論があり、『エフェソ人への手紙』およびいわゆる牧会書簡はパウロを擬してパウロの死後書かれたとする見方が今日では一般的である。なお伝統的にパウロ書簡とされる『ヘブル人への手紙』はそもそも匿名の手紙であり、今日では後代の筆者によるものとする見方が支持を得ている。