アテナイ
アテナイ(アテーナイ。Αθήναι)はギリシャの首都アテネの古名。中心部にパルテノン神殿がそびえるイオニア人の古代ギリシャの都市国家。名はギリシャ神話の女神アテーナーに由来する。佐賀県に匹敵する領土を持ち、アッティカ半島の西サロニコス湾に面し外港ピレウスを有した。
アテナイの成立
アカイア人分派のイオニア人がアッティカ地方に定住したのは前2000年ころと推定され、紀元前1200年ころから紀元前1100年ころにかけてドーリア人の侵入をうけ周辺王国は次々と征服された。アテナイはこれを凌いで続く暗黒時代を通して王政を維持し存続した。このころ代々の王家に代わって、移住者の子孫であるピュロス王家が成立する。
民主政の発展
アテナイの身分制は重装歩兵として戦争に従軍する平民の発言権が強く王の権限は比較的弱かった。紀元前8世紀半ば、貴族が平民に対抗するためアテナイ中心部に集住(シュノイキスモス)して、王政に代わって寡頭政を成立させた。 その後も政治制度改革が継続され、紀元前624年にドラコンの立法によって慣習法が成文化され、紀元前594年にアルコンに就任したソロンは、市民の債務奴隷禁止と財産額による市民の4等級化を定めた。 紀元前561年に権力を掌握した僭主ペイシストラトスは、中小農民の保護育成につとめ貴族に打撃を与えた。僭主を倒したクレイステネスは、紀元前508年に10部族制を創設し市民を再編して五百人会の設置とオストラキスモス(陶片追放)を採用した。
ペルシャ戦争とアテナイの全盛
紀元前492年から紀元前449年までのペルシャ戦争に勝利したアテナイは、サラミスの海戦などで三段櫂船の漕手として活躍した下層市民の発言権が強まり、ペリクレス時代に古代民主政の全盛時代を迎えた。全ての公職が市民に解放され均等に割り当てられた。デロス同盟諸国から得られる潤沢な資金がアテナイに流入し、パルテノン神殿建設や海軍増強につぎ込まれた。 公職は、毎年改選される将軍職を除いて、その地位を希望する市民に対して籤引きで決定された。籤引きは神による選択の現れとも信じられていて、アテナイ人はそれが純粋に民主的であると考えていた。 元々デロス同盟はペルシャの脅威を防ぐために、エーゲ海やイオニア植民諸ポリスが同盟して盟主であるアテナイに資金管理と軍備強化を委ねたものであったが、ペルシャの直接的な脅威が取り除かれると、アテナイは勝手に資金流用を開始したのである。アテナイが帝国主義的に振る舞うようになるとデロス同盟内のポリスから反乱が起こるようになった。アテナイの一人勝ちとも思える振る舞いを苦々しく感じていた、ペルシャ戦争のもう一つの戦勝国スパルタは、こうしたアテナイに反対するポリスを支援して両者は激しく対立するようになった。
ペロポネソス戦争
紀元前431年、アテナイとスパルタの間にペロポネソス戦争が開始された。陸戦に強いスパルタであったが、国内に多くの被抑圧民を抱えるスパルタには長期間の遠征が無理であったことから、ペリクレスは籠城戦を選択する。陸戦を耐え抜いて得意の海戦でスパルタを圧倒する作戦であった。紀元前429年、アテナイ城内に蔓延したペストによってペリクレスが死亡した後、漸次アテナイは劣勢に立たされ、紀元前404年にスパルタの勝利の内に戦争は終結した。
大国ペルシャはアテナイのエーゲ海支配を嫌ってスパルタに海軍および軍資金を提供した。
衰退
スパルタに敗れた後のアテナイには三十人政権と呼ばれる寡頭制政権が成立し、恐怖政治を敷いた。海外領土および従属国を失ったアテナイの経済力は衰退し、またアテナイの政治は大きく乱れた。 紀元前377年、アテナイは国力を回復し再度海上同盟を結成したが、紀元前338年、カイロネイアの戦いでマケドニアのフィリッポス2世に屈服してから政治的独立性をなくしアレクサンドロス大王とそれに続くディアドコイの帝国に編入された。ローマに支配されるようになった後は文化都市としてローマ人の尊敬を受けて栄え続けたが、6世紀のスラブ人の侵入以後は衰退し、東ローマ帝国の一地方都市となった。
社会と文化
最盛期のアテナイは、3万~4万人の市民(成年男子で構成・家族を含めると15万人)、奴隷8~10万人、商業や学芸などに従事する在留外国人(メトイコイ)1万~15,000が居住した。男子は7歳になると、私学に通って読み書き、計算、体育、音楽を修得した。成人男子は、戦争や民会への参加、平時にはアゴラに集って哲学論議に花を咲かせ、体育に汗を流した。女性の地位は低く家庭内に籠もって15歳位で親が決めた30歳位の男性と結婚した。奴隷は解放されることもあったが、農業、商業、手工業、鉱山業、家内の雑用、公文書の記録・保管、市中警備などあらゆる部門に酷使された。4~5人家族であれば、男子奴隷1名を公共工事に従事させて得る報酬で生活することもできた。
ギリシア各地から学者、芸術家が集まり文化の花が開き、哲学のソクラテス、プラトン、アリストテレス、劇作家のアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス(→三大悲劇詩人)、アリストファネス、彫刻家のフェイディアス、歴史家のトゥキディデス、著述家のクセノポンらを排出し、その後のヨーロッパ世界に強い影響を与えた。