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ボサノバ

ボサノバBossa Novaボサノヴァ)は、ブラジルを起源とする音楽の一ジャンルである。

Bossa Novaとはポルトガル語で「新しい波(ニューウェーブ)」の意。サンバをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、中でも「サンバ・カンサゥン」等を、アメリカのポピュラーミュージックの影響下で極度にモダナイズし、洗練させた音楽形式である。 1950年代中期、リオ・デ・ジャネイロに在住していた若手ミュージシャンたちによって創始された。

ボサノバ誕生の中心となったのはアントニオ・カルロス・ジョビン(トム・ジョビン)やジョアン・ジルベルト、そしてジャーナリストにしてブラジル政府の国連大使も務めた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらである。変わり者のジルベルトは幾日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らす試行錯誤の末、それまでにないスタイルのギター奏法(いわゆるボサ・ギターのスタイル)を編み出すことに成功したという。

1957年、ジルベルトの歌った「Chega de Saudade(想いあふれて)」が、最初のボサノバレコードとして発表された。喜怒哀楽も露わに、ドラマティックに歌われるのが常であったブラジル音楽の系譜において、つぶやくように歌われるこの新しいスタイルは当初違和感をもって迎えられたが、抑制されたメロディーと洗練された詞は、従来のブラジル音楽に飽き足らなかった若者たちの心を捉え、やがて広く受け入れられた。

「ボサノバ」という言葉が確認されるのは、トム・ジョビンが作曲し、ニュートン・メンドンサが作詞したヒット曲「Desafinado(ディサフィナード)」(1958)の詞の一節で、ほどなくしてこれらの音楽を総称する言葉となった。 「ディサフィナード(調子っ外れ)」という題名自体、ボサノバにおける強いアマチュアリズムの影響を思わせるものである。実際、多くのボサノバ作曲者たちは、ギターを抱えて自作の歌を弾き語った。本来歌い手ではない彼らのささやくような歌唱は、ラテン音楽において優位を占めていた、大きな声量による朗々たる歌唱とはかけ離れた、悪く言えば「ヘタウマ」とも言うべきものであったが、ボサノバにはむしろ非常に合った歌唱法であった。彼らは歌い方の面でもまた、一つの新しい在り方を示したのである。

1959年には、1957年にジョビンとモライスが企画した劇を元にしたブラジル・フランス合作映画「Orfeu Negro(黒いオルフェ)」(マルセル・カミュ監督)の劇中曲として多くのボサノバが使われ、世界にその存在を知らしめた。 また1962年には、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノバアルバムがアメリカで大ヒット、特にこの中でジョアンの妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノバ」を浸透させた(しかしこのアルバムのためにアメリカの大衆は「ボサノバはゲッツの創始になるもの」「ボサノバを代表する歌手はアストラッド」という極端な誤解をしてしまったとも言う)。

以後の一時期、アメリカではボサノバ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。が、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノバからはかけ離れたものであった。その傾向は日本においても共通するようである。 この「本来のボサノバ」と「ボサノバ風の亜流音楽」の並立は、現代のリスナーの相互間に、奇妙な階級対立を招く原因となっている。

  戦後における都市文化の爛熟期にあったブラジルには、若く才能あるアーティストたちが輩出し、ボサノバは1960年代初頭に隆盛を迎えた。 しかし、ブラジルで1964年に起こったクーデターによる軍事政権樹立と、それに伴う強圧的な体制は、「リオの有閑階級のサロン音楽」的な傾向のあったボサノバを退潮させる主因となったともされる。 その結果、決して少なくないボサノバアーティストたちが、ブラジル国外へ半亡命的な形で去り、アメリカやフランス等のミュージックシーンに足跡を残した。

抽象的・享楽的な傾向のあったボサノバの歌詞も、体制に対する批判性の強いものへと変わって行った(例 ナラ・レオンのアルバム「ナラが自由を歌う」や、マルコス・ヴァーリのアルバム「ヴィオラ・エンルアラーダ」など)。これらをボサノバのカテゴリーから外して捉える批評家も多いようだ。

1960年代中期以降、ボサノバはブラジルの大衆音楽のムーブメントからは外れて行ったものの、1970年代以降現代にまで連なるMPB(Musica Popular Brasileira ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックの意)と呼ばれる、よりエスニックな新ジャンル創成の母胎となり、その影響は今なお続いている。そして、世界各国のポピュラー音楽に多大な示唆を与えてもいる。

1950年代~60年代に作られた多くのボサノバ・ナンバーは、その爽快さ、親しみやすさから、今なおスタンダードとして世界各国で聴かれ、また歌唱・演奏の題材として頻繁に取り上げられている。その中で最も有名な曲と言えば、モライスの詞とジョビンの曲になる「Garota de Ipanema(イパネマの娘)」(1960)であろう。




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