ローマ帝国
ローマ帝国(ローマていこく)は、紀元前27年 - 476年(西ローマ滅亡)、1453年(東ローマ滅亡)の間に、ローマ市を発祥・一大中心として地中海周辺一帯を支配した帝国。古代ローマの帝政期をいう。紀元前27年にオクタウィアヌスがアウグストゥス(「尊厳者」)の称号を得て、形ばかりの元首政から始めた帝政(帝政ローマ)。コンスタンティヌス1世は首都をローマからコンスタンティノポリスへ遷した。ローマ帝国は、地中海をとりかこむ領域を持った。
歴代皇帝
ローマ皇帝一覧を参照せよ
前史
紀元前8世紀中ごろ、イタリアを南下したラテン人の一派がティベル川のほとりに形成した都市国家ローマを起源とする。 当初は貴族による共和政を布いており、元老院が大きな力を持っていた。(共和政ローマ) のちに都市国家ローマは力をつけ、イタリア半島の都市国家を統一。 地中海に覇権を伸ばし始め、ガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー)などの将軍たちが力をつけ、三頭政治を開始。イタリア半島内の都市国家による反乱(同盟市戦争)を機に、イタリア半島内に、ローマ市民権を付与。 エジプトを滅ぼし、「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」を達成し、五賢帝の時代まで続く繁栄をもたらす。カエサルの養子オクタウィアヌスが、第2次三頭政治の一員から抜きん出て、帝政を開始する。
五賢帝の時代
アウグストゥスの後ローマ帝国の最盛期を築いた5人の皇帝の時代。すべて生存中に優秀な人材を探して養子につけ、帝位を継がせた。法律(ローマ法)、交通路、度量衡、貨幣制度などの整備・統一が行われ、ローマ領内の流通と経済を盛んにした。(年代は在位期間) 紀元後96年-98年 ネルウァ 98年-117年 トラヤヌス - ローマの最大の領土を達成。東はメソポタミア、西はイベリア半島やブリテン島の一部、南はエジプト、北は現在のルーマニアやハンガリーまでおよんだ。北でゲルマン人と対立。 117年-138年 ハドリアヌス 138年-161年 アントニヌス・ピウス 161年-180年 マルクス・アウレリウス・アントニヌス - 哲人皇帝と呼ばれ、ストア哲学を熱心に学んだ。五賢帝ののち、領域の各地で反乱が増加し始める。これに対処すべく、212年、カラカラ帝によって、ローマの支配下にあるすべての地域に、同等のローマ市民権を与えた。ローマ人・外国人の区別のない世界国家("帝国")に変貌する。これによって、ローマ領内は一気にローマ化した。
混乱と分裂、キリスト教
反乱の増加に伴って、軍隊が強力な力を持つようになり、皇帝の進退を左右した。約50年間に26人もの皇帝が入れ替わり、これを「軍人皇帝」と呼んだ。占領した地域から連れられてきていた奴隷たちが、帝国の領域の縮小に伴って減少し、奴隷という労働力が不足し始め、代わりにコロヌス(土地の移動の自由のない農民。家族を持つことができる。高い徴税の義務を負う)が急激に増加した。この労働力を使った小作制のコロナートゥスが発展し始めると、人々の移動が減り、商業が衰退し、地方ごとの自立が促進された。
284年に軍人皇帝の最後の皇帝となったディオクレティアヌス(在位 : 284年-305年)は、混乱を収拾するため、皇帝の権力を強め、帝国を4分割統治し、一時安定を取り戻す。4分割統治は、2人の正帝(アウグストゥス)と、副帝(カエサル)によって行われ、ディオクレティアヌスは東の正帝に就く。以降、ドミナートゥス(専制君主制)に移行した。一方、ディオクレティアヌスのもうひとつの混乱収拾策であった、キリスト教迫害は失敗し、死後再び混乱。
コンスタンティヌス1世(在位 : 副帝306年-、正帝324年-337年)は、同じく専制を強行するが、キリスト教勢力と妥協し、313年ミラノ勅令を公布してキリスト教を公認した。
さらに、東方からのササン朝ペルシャの攻撃に備えるため、東西の交易ルートの要衝ビュザンティオン(ビザンティウム。現在のトルコ共和国イスタンブール)に遷都し、コンスタンティノポリスと改称。心機一転立て直しを図ったが、北方のゲルマン人の侵入が進む中で、解体は止まらなかった。
テオドシウス1世(在位 : 379年-395年)は、380年キリスト教を国教に定めた。彼は自分の死に際して、東西に帝国を分け、長男アルカディウスに東を、次男ホノリウスに西を与えて分割統治させた。当初はあくまでもディオクレティアヌス時代の4分割統治と同様に1つの帝国を分割統治するというつもりであったのだが、これ以後帝国は完全に2分し、東西は対照的な運命を辿ることになった。
西ローマ帝国
首都はミラノ、後にラヴェンナ。395年-476年。ゲルマン人の侵入に耐え切れず、イタリア半島の維持さえおぼつかなくなった末、476年ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって皇帝ロムルス・アウグストゥルス(在位 : 476年)が廃位され、西ローマ帝国は滅びた。
東ローマ帝国
首都はコンスタンティノポリス。395年 - 1453年。後世ビザンツ帝国あるいはビザンティン帝国と呼ばれた。軍事力と経済力をつけて、ゲルマン人の侵入を最小限に食い止め、1000年にわたってローマ帝国の正統な後継者として存続した(以降は東ローマ帝国を参照)。1453年にオスマン帝国に滅ぼされた。
参考文献
ローマ人の物語(第VI巻以降) - 塩野七生 ギボン著・中野好夫ほか訳『ローマ帝国衰亡史(全11巻)』(筑摩書房)
関連項目
SPQR 東ローマ帝国 西ローマ帝国 ローマ皇帝一覧 ローマ軍団