バウハウス
バウハウスは1919年、ワルター・グロピウス(Walter Gropius; 1883年-1969年)により、ワイマールの地に設立された美術(建築・工芸・写真・デザイン等を含む)に関する総合的な学校。
最初期には、予備課程を担当していたヨハネス・イッテン(Johannes Itten; 1888年-1967年)の考え方もあり、合理主義的なものと表現主義(神秘主義・精神主義)的(芸術的・手工業的)なものが、混合された教育が行われた。
その後、ワルター・グロピウスは、 テオ・ファン・ドースブルフ(Theo van Doesburg; 1883年-1931年)によるデ・ステイル(De Stijl)の、より合理主義的・機能主義的な考え方の影響を受けた。そのこともあり、ワルター・グロピウスとヨハネス・イッテンとの間に対立が生じ、ヨハネス・イッテンがバウハウスを去り、後継者として、モホリ=ナジ(モホリ=ナギ)(Laszlo Moholy-Nagy; 1895年-1946年)が予備課程を担当することとなった。この結果、合理主義・機能主義(工業デザインや大量生産に合致するような方向)が、バウハウスの中心的な傾向となっていった。
バウハウスは、1925年にデッサウ、1932年にベルリンに移転し、1933年には、ナチスにより閉鎖された。
バウハウス叢書の刊行も含めて、後世の芸術・思想・教育方法等に与えた影響は、計り知れない。
他に、バウハウスで教鞭をとった者として、リオネル・ファイニンガー(Lyonel Feininger; 1871年-1956年)、カンディンスキー(Wassily Kandinsky; 1866年-1944年)、クレー(Paul Klee; 1879年-1940年)、ヨゼフ・アルバース(Josef Albers; 1888年-1976年)、ヘルベルト・バイヤー(Herbert Bayer; 1900年-1985年)、オスカー・シュレンマー(Oskar Schlemmer; 1888年-1943年)などがいる。
なお、モホリ=ナジ(モホリ=ナギ)は、亡命先のアメリカ・シカゴにニュー・バウハウスを設立している(1937年から1939年まで)。
(参考)校長 1919-1928 : ワルター・グロピウス 1928-1930 : ハンネス・マイヤー(Hannes Meyer; 1889年-1954年) 1930-1933 : ルードヴィッヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe; 1886年-1969年)
関連項目
工業デザイン
バウハウス
日本の出版社。主に男性向け雑誌・写真集を出版している。