ニカラグア
ニカラグア共和国(ニカラグアきょうわこく)、通称ニカラグアは、中央アメリカに位置するラテンアメリカの国。狭義の中央アメリカではもっとも広い。北東は、ホンジュラス、南はコスタリカ。東はカリブ海に面し、南西は太平洋に面している。
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| 国の標語 : En Dios Confiamos (スペイン語: 我々は神に託す) | |||||
| 公用語 | スペイン語 | ||||
| 首都 | マナグア | ||||
| 首都の座標 | 北緯 12度9分 西経 86度17分 | ||||
| 大統領 | エンリケ・ボラーニョス | ||||
| 面積 - 総計 - 水面積率 | 世界第95位 129,494;km² 7.1% | ||||
| 人口 - 総計(2004年) - 人口密度 | 世界第109位 5,359,759人 41人/km² | ||||
| GDP (PPP) - 合計(2003年) - 1人当たり | 世界第123位 114億9,000万ドル 2,200ドル | ||||
| 独立 - 日付 | スペインから 1821年9月15日 | ||||
| 通貨 | コルドバ・オロ | ||||
| 時間帯 | UTC -5 | ||||
| 国歌 | Salve a tí | ||||
| ccTLD | .NI | ||||
| 国際電話番号 | 505 | ||||
国名
正式名称は、República de Nicaragua (スペイン語: レプーブリカ・デ・ニカラーグァ)。通称は、Nicaragua 。
公式の英語表記は、Republic of Nicaragua (リパブリック・オブ・ニカラーグア)。通称は、Nicaragua 。
日本語の表記は、ニカラグア共和国。通称、ニカラグア。
国名は先住民の一つ、ニキラノ族の首長ニカラオがその由来となっているといわれている。
歴史
コロンブスの来航以後、アメリカ大陸全域がスペインの侵略にさらされたが、ニカラグアもその例外ではなかった。1502年、コロンブスに「発見」されたニカラグアでも、中央アメリカのニカラオカリ(現在のリバス付近)を本拠とするインディオのニキラノ族(首長: ニカラオ)が侵略に立ち向かった。それゆえ、この地域一帯を総称しニカラグアと呼ぶようになった。インディオたちの抵抗にもかかわらず、スペイン人のコルドバ(現行の通貨名となっている)に征服され、以後ニカラグアは、他の周辺地域と同様に、スペインによる過酷な支配下におかれることになった。インディオは虐殺や奴隷化の対象となり、またヨーロッパから天然痘が伝播するなど、先住民であるインディオの人口は絶滅に近いほど激減。インディオがほぼ絶滅すると、代わりにアフリカ大陸から奴隷が投入されるのも、ラテンアメリカの他地域と同様である。
1855年、米国人ウィリアム・ウォーカーがニカラグアに上陸し、内紛を利用して支配権を掌握。翌年6月、自らがニカラグア大統領であると宣言した。英語を公用語として強制し、奴隷制を布告。1927年、アウグスト・セサル・サンディーノ将軍がゲリラ部隊を率いて、米国海兵隊(占領軍)を攻撃(サンディーノ戦争)。1933年、米国海兵隊が撤退してサンディーノ戦争は終結。
1936年から続いていたソモサ独裁に反対する中道・左派の幅広い結集により、1979年武装蜂起したサンディニスタ国民革命戦線 (FSLN) に対し、7月19日ソモサ大統領は米国に逃亡。43年間におよぶソモサ支配は終焉し、サンディニスタ革命=「歌う革命」が実現。革命を敵視した米国はCIAなどさまざまな組織を通じて反政府勢力コントラを支援したため、コントラによるゲリラ活動で内戦が勃発。オリヴァー・ノースという現役の米国軍人が、米国政府とは独立した支援活動を繰り広げるなど、水面下でのさまざまな暗躍が噂されている。1981年米国レーガン政権は経済援助を停止し、翌年旧ソモサ軍を主力とする反FSLN武装組織(コントラ)が米国やCIAの支援を受けてホンジュラス国境から侵入したため、内戦は本格化する。1986年6月、国際司法裁判所は、米国の主張を全面的に退け「機雷封鎖,コントラ支援を含むニカラグアへの攻撃は,国連憲章をふくむ国際法に違反」とする判決を下すが、米国はコントラ支援をますますエスカレートさせる。11月、米国のイラン武器売却代金がニカラグアのコントラ・グループに流れていた事が発覚(イラン・コントラ事件)。米国の手先となって支援資金の洗浄をしていたのはサレム・ビンラディン(オサマ・ビンラディンの兄)。1987年の中米和平合意に沿って1988年3月、政府と反政府勢力問の暫定停戦合意成立。
1990年2月、国連による国際監視のもとで大統領選挙を実施し、サンディニスタは僅差で敗れ、国民野党連合 (UNO) のビオレタ・チャモロ候補が初の女性大統領に選出される。4月にチャモロ政権が発足。6月にはコントラが武装解除・解体完了を宣言する一方、サンディニスタ人民軍が8万人から1万5千人に削減され、内戦は実質的に終結した。1996年10月20日、大統領等選挙が行われ、自由同盟(AL、中道右派連合)のアレマン候補が当選。1997年1月10日、アレマン新政権発足。2001年11月4日に行われた総選挙で、ボラーニョス前副大統領が選出、2002年1月10日にボラーニョス政権発足。前アレマン大統領の在任時の汚職疑惑が社会問題化する。エンリケ・ボラーニョス・ヘィエル大統領(Enrique Bolanos Geyer)は、立憲自由党(PLC)。任期5年。1928年5月13日マサヤ生まれ。米セントルイス大学(工学)卒。
略年表
1502年9月 コロンブス、第4次航海でホンデュラスからニカラグア東海岸のココ河口に上陸 1520年ごろ スペイン人による植民地化が活発になる 1573年 グアテマラ総督領に編入 1811年 レオン・グラナダで反乱。独立運動が急速に発展 1821年 独立宣言。その後メキシコ帝国に編入される 1823年 中米諸州連合結成 1838年 中米連邦分裂。完全独立 1855年 米国人ウィリアム・ウォーカーが自らをニカラグア大統領と宣言
1927年 - 1933年 サンディーノ戦争 1934年 サンディーノ暗殺 1936年 ソモサ将軍政権掌握
1974年 FLNはFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)に名称変更 1972年 マナグア大地震。首都壊滅。全世界からの援助をソモサが着服。 1979年 サンディニスタ革命 1981年 米国のレーガン大統領が援助停止 1984年 総選挙でサンディニスタ政権が圧倒的支持を集める 1985年 米国レーガン大統領はコントラを自由の戦士と表現して賞賛、経済制裁を開始
1990年2月 大統領選挙 1990年4月 チャモロ政権発足 1997年1月 アレマン政権発足 2002年1月 ボラーニョス政権発足
政治
国家元首は大統領で、行政府の長として実権を有する。大統領候補は、副大統領候補とペアを組んで立候補する。国民(満16歳以上の男女)による直接選挙によって決する。任期5年、連続再選禁止。
議会は、一院制。議員数93名、任期5年。前回選挙は、2001年11月4日に行われ、投票結果は、自由連合 (LA) 42、サンディニスタ民族解放戦線 (FSLN) 36、キリスト教道党 (PCCN) 4、保守党 (PCN) 3、国家計画 2、他 6。
地方行政区分
15県 (departamento) と2自治地域 (region autonomista)
北アトランティコ (Atlántico Norte) - 自治地域 南アトランティコ (Atlántico Sur) - 自治地域 ボアコ (Boaco) カラソ (Carazo) チナンデガ (Chinandega) チョンタレス (Chontales) エステリ (Estelí) グラナダ (Granada) ヒノテガ (Jinotega) レオン (Leóon) マドリス (Madriz) マナグァ (Managua) マサヤ (Masaya) マタガルパ (Matagalpa) ヌエバ・セゴビア (Nueva Segovia) リオ・サン・ホワン (Rio San Juan) リバス (Rivas)
地理
熱帯でとても暑い国です
マナグア湖にあるモモトンボ火山
経済
国民
人種構成は、メスティーソ 69%、白人 17%、黒人 9%、アメリンディオ 5%
言語は、スペイン語が公用語。その他には、英語と大西洋海岸の固有言語を話す人もいる。
文化
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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関連項目
ニカラグア関係記事の一覧
外部リンク
公式
政府公式サイト ニカラグア政府観光局 (スペイン語、英語、フランス語)
その他
日本外務省 ニカラグアの情報 『武装するギター』 - ニカラグア革命における音楽の役割 (英語、PDFファイル、Greg Landau Productions内)
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