マケドニア共和国
マケドニア共和国(マケドニアきょうわこく)は、東ヨーロッパのバルカン半島に位置する共和国。旧ユーゴスラビア連邦を構成していた国のひとつで、南はギリシャ、東はブルガリア、西はアルバニア、北はセルビア・モンテネグロと、四方を外国に囲まれた内陸国である。国土は、地理的・歴史的にマケドニアと呼ばれてきた地域の北西部にあたる。マケドニア共和国はマケドニア地域全体の約4割を占め、残りは、約5割がギリシャに、約1割がブルガリアに分属する。マケドニア共和国の多数民族はマケドニア人と自称・他称されるが、彼らはスラヴ諸語の話し手で南スラヴ人の一派であり、ギリシャ系の言語を話していた古代のマケドニア国家の人々と直接の連続性はない。
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| 国の標語 : なし | |||||
| 公用語 | マケドニア語、アルバニア語 | ||||
| 首都 | スコピエ | ||||
| 首都の座標 | 北緯 41度59分 東経 21度26分 | ||||
| 大統領 | ブランコ・ツルヴェンコフスキー | ||||
| 首相 | ハリ・コストフ | ||||
| 面積 - 総計 - 水面積率 | 世界第145位 25,333;km² 1.9% | ||||
| 人口 - 総計(2004年) - 人口密度 | 世界第141位 2,071,210人 82人/km² | ||||
| GDP (PPP) - 合計(2003年) - 1人当たり | 世界第117位 138億1,000万ドル 6,700ドル | ||||
| 独立 - 日付 | ユーゴスラビアより 1991年9月8日 | ||||
| 通貨 | マケドニア・デナル | ||||
| 時間帯 | UTC +1 (DSTあり) | ||||
| 国歌 | マケドニア国歌 | ||||
| ccTLD | .MK | ||||
| 国際電話番号 | 389 | ||||
国名
憲法上の正式名称は、Република Македонија (マケドニア語: ラテン文字転写は、Republika Makedonija 。読みは、レプブリカ・マケドニヤ)。通称は、Македонија (Makedonija)。公式の英語表記名(暫定名称)は、The Former Yugoslav Republic of Macedonia。略称、F.Y.R.O.M.(ファイロム)、F.Y.R.Macedonia。
日本語の表記は、マケドニア共和国。または、英語名の翻訳で、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国、旧ユーゴスラヴィア・マケドニア共和国。ユーゴは、ユーゴーと表記されることもある。
マケドニアという国名は、この地の名称であり、アレクサンダー大王で有名なマケドニア王国の名に由来するものである。しかし、マケドニア地方の南部を領有し、その州名として既にマケドニアの名を使用していたギリシャ政府は、この地への領土的野心を伺わせる国名に対する警戒心と、ギリシャ人の国家であった「マケドニア」の名を歴史的にも民族的にも無関係の南スラブ人が称することに対する不満から、国名を変更するように強く抗議をした。そのため、1993年に現在の英語名を国際社会における仮の国名として、国際連合へ加盟した。これ以後、多くの国々や国際的組織は、暫定名称の FYROM の名で、この国との関係をもった。しかし、ロシアなど約40カ国の国々は、FYROM ではなく、憲法上の国名である「マケドニア共和国」の名でこの国と外交関係をもっている。なお、ギリシャとの「国名論争」については、国際関係の項も参照。
歴史
マケドニア地域の南スラヴ人は、東ローマ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国などの支配を経てオスマン帝国の支配下に入った。オスマン帝国は支配下の人々の分類を言語や民族ではなく宗教の所属においたので、これらの人々の帰属意識も東方正教会の信仰におかれ、マケドニア人という民族意識も民族名称も存在しなかった。1912年、第一次バルカン戦争でマケドニアの大部分はブルガリア領に入るが、翌1913年の第二次バルカン戦争により西北部4割はセルビア(のちユーゴスラビア王国)が奪取した。このセルビア領マケドニアがのちのマケドニア共和国の起源である。第二次世界大戦後、ユーゴスラビア連邦はこの地域にマケドニア共和国を置き、この地方の南スラヴ人はマケドニア人と呼ばれるようになる。
1991年9月8日、ユーゴ解体に伴い、マケドニアは独立を宣言。国名をマケドニア共和国とし、古代マケドニア王朝のシンボルであるヴェルギナの星(ヴェルギナの太陽ともいう)を描いた国旗を制定した。1992年3月、連邦軍が撤退し、独立達成。1993年1月、国連に加盟申請。しかし、ギリシャとの間で「国名論争」が勃発し、4月に暫定国名で国連加盟が承認される。1994年2月、ギリシャによる経済封鎖。国旗変更、憲法の一部改正。1995年、経済封鎖解除。1998年、総選挙の結果、旧共産系の社会民主同盟に代わり、中道右派連立政権が成立。2001年2月、アルバニア系住民の民族解放軍 (NLA) が武装蜂起。8月、アルバニア系住民の権利拡大を認める和平合意文書に調印。11月、議会が合意に基づき憲法改正。2002年9月の総選挙では、社会民主同盟が政権を奪還し、NLAが改組した政党、民主統合連合と連立政権を組んだ。しかし、その後もアルバニア系武装勢力によるテロ事件や、警察との銃撃戦が繰り返されている。
政治
地方行政区分
国際関係
地理
経済
国民
住民はマケドニア人が64.2%、アルバニア人が25.2%、トルコ人が3.8%、ロマ人が2.7%、セルビア人が1.8%、その他が2.3%である(2002年時点)。言語はマケドニア語(公用語)が68%、アルバニア語(公用語)が25%、トルコ語が3%、セルボ・クロアチア語が2%、その他が2%である。
宗教はマケドニア正教が70%、イスラム教が29%、その他が1%である。
文化
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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有名な出身者
アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ(マザー・テレサ)
関連項目
マケドニア関係記事の一覧
外部リンク
公式
政府公式サイト (マケドニア語、英語)
その他
日本外務省 マケドニアの情報
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