フランコフォニー
フランコフォニー(Francophonie)とはフランス語圏・仏語圏(francophonie)とも言われているが、この二つは同一ではない。フランス語圏・仏語圏は、フランス共和国を含めフランス語が何らかの形で用いられている国や地域の総称を指すのに対して、フランコフォニーは国際組織を指す。また、国際組織に加盟している国や地域は必ずしもフランス語が使用されている国とは限らない。フランス語を公用語とする国は世界で30数カ国を数え、国の数では英語に次ぐ。しかしながら、フランコフォン(francophone)と呼ばれるフランス語話者は世界中で1億3000万人程度しかいない。これは世界最大の言語である中国語や世界でもっとも通用する英語はもとより、話者人口が2億あるいはそれ以上のスペイン語、ポルトガル語、ロシア語、アラブ語、マレー・インドネシア語よりも遙かに少ない。インドのヒンズー語やベンガル語よりも少なく、フランス語の話者人口は日本語とドイツ語とほぼ同じくらいである。
実際フランコフォニー国際組織に加盟している国の中には、ベトナムやラオスなど旧フランス植民地とはいえ、ほとんどフランス語を使用することのない国もあれば、東欧のポーランドやチェコやスロヴァキアなどのようにフランスの植民地にすらならなかった国もある。英語圏やスペイン語圏、ポルトガル語圏やアラブ語圏の国もあり、フランコフォニー国際組織加盟国=フランス語圏ではないのである。
フランコフォニーという言葉は1880年にフランスの地理学者オネジム・ルクリュにより初めて用いられた。一方、フランコフォニー国際組織の創設は、1960年代旧フランス領だったアフリカ諸国の指導者、セネガルのレオポルド・セダール・サンゴール、チュニジアのハビブ・ブルキバらにより進められた。その後、カナダのフランス語圏であるケベック州がこの動きに加わり、1970年代になると同じくカナダの首相、ピエール・トリュドーがサミット構想を掲げた。フランスはこの動きを新たな植民地政策につながりかねないとして積極的に関わらなかったが、ケベック州の仲介などでミッテラン大統領期の1986年に第1回サミット開催を引き受けてから積極的に参加するようになった。
フランコフォニー国際組織は総称としてOIFと呼ばれ、おおよそ次の組織で構成されている。
フランコフォニー・サミット 2年に一度サミット加盟国のいずれかで開催される首脳会談。フランコフォニー国際組織の基本方針が決定される。加盟国は2004年時点でオブザーバーを含め56カ国。過去に行われたサミット開催地と開催年は次の通り。
第1回パリ(1986年)、第2回カナダ・ケベック・シティ(1987年)、第3回セネガル・ダカール(1989年)、第4回パリ(1991年)、第5回モーリシャス・グランドべー(1993年)、第6回ベナン・コトヌー(1995年)、第7回ベトナム・ハノイ(1997年)、第8回カナダ・モンクトン(1999年)、第9回レバノン・ベイルート(2002年)
なお2004年はブルキナ・ファソの首都ワガドゥーグーで開催される予定。
組織
フランコフォニー事務総長
フランコフォニー常任理事会(CPF)とフランコフォニー閣僚会議(CMF)- CPFは事務総長の発議により、加盟国政府の代表者が参加し、事務総長の主宰で行われる会議。その役割はサミットの準備および決定事項が執行されているかの確認が主である。CMFは加盟国外相が参加する総合的な会議とそれ以外の閣僚が参加する専門会議がある。総合会議はサミット首脳会談で取りあげる議題やOIFの組織の在り方についてやサミットの加盟申請国の承認などを討議する。専門会議は文化や子ども、女性や環境問題、情報化、スポーツ、持続的発展など個別の問題について討議する。
- AIFは上記の決議機関で決定した事項を実際に執行する行政機関。1970年にニジェールのニアメで文化技術協力機構ACCTとして発足し、現在の形態になったのは1997年から。世界各地でフランコフォニー週間(3月20日から)が設けられているが、これはACCTが1970年3月20日に発足したのにちなむ。AIFの業務は多岐にわたり、文化、芸術、教育、経済、労働、金融、情報、環境、科学技術、青年スポーツ、女性など多種多様である。本部はパリにおかれている。
外部リンク
フランコフォニー国際組織(フランス語) フランコフォニー政府間機構(フランス語・英語など) フランコフォニー研究ページ(日本語)