サハラ砂漠
サハラ砂漠(さはらさばく)はアフリカ北部にある世界最大の砂漠。面積は約1000万km2、アフリカ大陸の3分の1近くを占める。サハラ (Sahara صحر ) とはアラビア語で砂漠という意味。サハラ砂漠をアラビア語で言うと「大砂漠」となる。サハラ砂漠は西端で大西洋に接し、北端ではアトラス山脈および地中海に接する。東側はエジプトと紅海に面し、スーダンとニジェール川を南の境とする。サハラ砂漠の中は西サハラを含むいくつかの地域に分割される。サハラ最高点はチャド領北部のエミ・クーシ山である。
サハラ砂漠はアフリカ大陸を北部アフリカとサハラ以南に分割している。二つの地域は気候の上でも文化の上でも大幅に異なっている。サハラ砂漠より北は地中海性気候であるのに対し、砂漠の中は砂漠気候である。一方、砂漠の南端はステップ気候帯に隣接している。
概観
サハラ砂漠全体の人口は約2500万人であり、そのほとんどはモーリタニア、モロッコ、アルジェリアに住む。サハラ砂漠内で最大の都市は、モーリタニアの首都ヌアクショットである。その他、重要な都市としては、タマンラセット、アルジェ、トンブクトゥ、アガデ、ニアメ、ンジャメナが挙げられる。
天然資源
アルジェリアとリビアは豊富な石油の埋蔵量をもつ。またモロッコと西サハラには燐酸塩が埋蔵される。
歴史
サハラ砂漠周辺への人類の定住は古く、50万年前にさかのぼる。石碑などの出土品からは、当初この地帯では、いまだ砂漠化が進行しておらず、野牛などの狩猟が行われたことが伺われる。アフリカ沿岸の航路が開拓されるまでは、サハラ砂漠内にはいくつかの重要な通商路が存在した。考古学的にも、サハラ周辺と他の地域との交易が有史以前から行われたことが明らかにされている。 ブバルス時代(Bubalus period, 紀元前35000年頃から紀元前8000年頃):野牛、ゾウ、カバなど、今日ではこの地域で絶滅した動物が生息したことが伺われる。人間はおもに棍棒で武装したものと推定される。ほかに斧や弓も使用されたが、槍は使用されなかった。また一部では兜も用いられた。 家畜時代(Cattle period, 紀元前7500年頃から紀元前4000年頃):家畜の飼育が普及した。ヒツジとヤギが飼育され、窯業が始まった。研磨による石斧や石の鏃などが生産されるようになった。弓矢は主に狩猟のために使用された。家畜類はアジアから輸入された。この時代の後期には、村落が形成され、いままでより多数の人口が維持可能になった。また家畜の群れを飼育することも行われるようになった。 イマジゲン時代(Imaghizen period, 紀元前3000年頃から紀元前700年頃):この時代の初期にはウマ、ラクダ、乳牛の飼育が行われるようになった。紀元前1220年頃から、フェニキア人との交易により鉄器がもたらされた。サハラ砂漠からエジプトに渡っていくつかの王国による連合体が作られた。これらの王国は海岸付近に位置したが、中には砂漠の中に及ぶものもあった。 カルタゴ時代(紀元前8世紀頃から紀元前3世紀):地中海に面するフェキニア人の植民地を元とする都市国家カルタゴは、その進展とともに、サハラ砂漠北部をも勢力下に収めた。ローマ共和国によってカルタゴが滅ばされると、これらの地域はローマの勢力化に納められ、いくつかの属州に分割された。 ローマ時代:地中海沿岸には、カルタゴ、アフリカなどのローマの属州が置かれた。 ヴァンダル時代(429年頃):ヴァンダル人がイベリア半島経由で進入し、サハラ砂漠北西部にヴァンダル王国を築いた。ヴァンダル王国はのちに532年頃ローマ帝国によって再び征服された。 アラブ時代(647年頃から):イスラム教の隆盛とアラブ人の進出とともに、サハラ砂漠はイスラム教化された。オスマン帝国はその最盛期にはサハラ砂漠に隣接する北地中海沿岸を版図に収めた。一方サハラ砂漠内部には、サハラ砂漠を横断する交易路上に13世紀から15世紀にかけてマリ帝国が栄えた。 西ヨーロッパ各国による植民地化(1500年頃から):大航海時代とともに、西ヨーロッパ各国はインドへの航路を求め、アフリカに寄港地を増やすとともに、内陸部への進出を果たしていった。「胡椒海岸」「黄金海岸」「象牙海岸」などの名称が、サハラ砂漠より南の大西洋に面する地域に与えられたのはこの時期以降である。サハラ砂漠に植民地を置いた国にはスペイン、フランスなどがある。
関連用語
サヘル地域
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