十字軍
十字軍(じゅうじぐん)とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教徒諸国が、聖地エルサレムのイスラム国からの奪還を目的に派遣した遠征軍のことである。
西欧キリスト教国からは義軍とみられ、東方正教会諸国やイスラム国側からは侵略軍とみなされている。
概略
トルコ人のイスラム王朝であるセルジューク朝にアナトリア半島を占領された東ローマ帝国の皇帝アレクシオス1世コムネノス(在位:1081年-1118)が、ローマ教皇に救援を依頼したことが発端(1095年)。このとき、大義名分として異教徒イスラム教国からの聖地エルサレム奪還を訴えた。この時皇帝アレクシオスが要請したのは東ローマ帝国への傭兵の提供であり、十字軍のような独自の軍団ではなかった。要請を受けたローマ教皇ウルバヌス2世は、カトリック教会の覇権を東方正教会圏まで広げる好機ととられ、フランスの騎士軍に指令を下した。
このとき、キリスト教徒の敵対心を煽るため、「不吉な民族を我らの領土から追い出そう。戦闘で命を落とした者は、この世の罪を許される」と扇動している。
第1回十字軍 1096年~1099年
- フランスと南イタリアのノルマン人の諸侯・騎士から編成された。小アジア・シリア地方のセルジューク朝領の諸都市を攻略した後、ファーティマ朝支配下のエルサレムを占領。このとき老若男女7万人のムスリムを虐殺したと記録される。この十字軍によって、エルサレム王国、エデッサ伯国、アンティオキア公国が建国された。
第2回十字軍 1147年~1148年
十字軍はハッティンでサラディンに敗北を喫し、エルサレムは陥落した。
第3回十字軍 1189年~1192年
第4回十字軍 1202年~1204年
- エルサレムではなくエジプト攻略を目ざす。しかしなぜか、ハンガリー、ついでコンスタンティノポリスを征服してラテン帝国を建国。この際キリスト教徒のコンスタンティノポリス市民の虐殺や掠奪が行われた。東ローマ帝国はいったん断絶し(-1261年)、旧東ローマ領の各地に亡命政権が樹立された。
第5回十字軍 1216年
- エジプト攻略失敗
第6回十字軍 1228年~1229年
第7回十字軍 1248年~1249年
第8回十字軍 1270年
- フランスのルイ9世、遠征途上死
十字軍の実態
十字軍は、キリスト教圏の諸候からなる大規模な連合軍として知られており、第1回から第7回まで派遣された。十字軍に参加した諸候の中には、宗教的な動機ではなく、財宝が欲しいと言う動機だけで参加したものも多く、第4回十字軍はエルサレムではなくキリスト教国家東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)を攻め落としてラテン帝国を築くなど、動機の不純さを露呈した。
上記のように、もともとはエルサレムの奪還を目的としていた十字軍であるが、後には、正統なキリスト教徒から見た異教徒やローマの教皇庁から異端とされた教会や地方の討伐軍をも十字軍と呼ばれるようになった。このような例としては、アルビジョア十字軍などが知られている。
また十字軍の遠征に伴い民間の巡礼者の運動も活発化し、多くの人々がエルサレムへと向かったが、その純粋な信仰心が報われることはほとんどなく多くが途中で命や財産を奪われたりした。
一方では十字軍は、東方の文物が西ヨーロッパに到来するきっかけともなり、これ以降盛んになる東西の流通は、後のルネサンスの時代を招く大きな要因となった。
なお、十字軍はイスラム側や東方正教会側からは、単なる略奪者として考えられた。このため、十字のシンボルを用いている赤十字はイスラム圏では忌避され、赤新月などの別の言葉やシンボルで活動せざるをえなくされている。2003年のイラク戦争において、アメリカのブッシュ大統領は、自軍を十字軍と表現したが、イスラム圏からの反発によって、すぐに撤回した。
関連項目
テンペスト マルタ騎士団 騎士修道会 フス戦争