十五年戦争
1931年の満州事変から日中戦争を経て1945年の太平洋戦争(大東亜戦争)終結に至るまでの延べ15年間にわたる戦争を、総称して十五年戦争と呼ぶ。満州事変から太平洋戦争終結までの期間が、連続的に一体化した日本の侵略行為であるという考えに基づいた呼称である。しかし、満州事変(1931年-)は塘沽協定(1933年)で終了し、日華事変(1937年-)とは別々の戦争である。これを纏めてしまうのは非合理的だとする説も有力に唱えられている。
略年表
1930年以前 1928年6月4日張作霖爆殺事件 1929年、世界恐慌起こる 1930年日本金輸出解禁により金流出、輸出不振。 1931年 9月18日 - 満州事変勃発 12月 - 日本金輸出再禁止 1932年 2月 - 9月リットン調査団 3月 - 満州国 五・一五事件発生 イギリスがブロック経済を形成する 1933年 日本、国際連盟脱退 日本、中華民国と塘沽協定を結ぶ。 ドイツ、ヒトラー内閣成立 アメリカ、F・ルーズベルト大統領がニューディール政策を実施(~1936年) 1934年 1935年 天皇機関説問題、美濃部の著書発禁、貴族院議員辞職を強いられる。 中國抗日救国運動 1936年 226事件 1937年 7月7日 - 蘆溝橋事件(中華民国と日中戦争勃発) 9月 - 中國第二次国共合作 12月 - 南京大虐殺 1938年 日本、国家総動員法公布 1939年 5月 - ノモンハン事件 (欧州)第二次世界大戦勃発 1940年 日独伊三国軍事同盟結ぶ 大政翼賛会・大日本産業報国会結成 フランス、ドイツに降伏 1941年 7月2日 - 対ソ戦準備・仏印侵攻を御前会議で決定。 11月 - ハル・ノート 12月8日 - 真珠湾攻撃以降太平洋戦争(大東亜戦争) 1942年 1942 年 1 月 2 日マニラ (フィリピン進攻作戦), 2 月 15 日シンガポール (マレー進攻作戦), 3 月 8 日ラングーン占領,3 月 9 日ジャワ島のオランダ軍を降伏させる,5 月 7 ~ 8 日の珊瑚海海戦 6 月 5 日~ 7 日,ミッドウェー海戦
1943年 2 月 7 日ガダルカナル島を放棄。同じ 2 月,ソ連軍がスターリングラードでドイツ軍を降伏させる (スターリングラード攻防戦) イタリア、連合国に降伏し、ドイツに宣戦布告。 1944年 日本学童疎開始まる 一号作戦(大陸打通作戦)始まる 1945年 3月10日 - 東京大空襲 3月26日 - 米軍、沖縄上陸 8月6日 - 広島市、9日 - 長崎市へアメリカが原子爆弾を使用して核攻撃 8月8日 - ソ連、日ソ中立条約を破棄し日本に宣戦 9月2日 - 日本無条件降伏、日中戦争・太平洋戦争終結
背景
明治から昭和にかけて日本は飛躍的な発展を遂げたが、富の再分配が適切に行われなかったので社会階層が固定化され貧富差が拡大した。また、急激に増加した人口を国内だけで養うことが困難になり、海外移民等を積極的に進めるが、黄禍論の台頭により厳しい状況におかれた。このような社会背景のもと立て続けに起きた金融恐慌と昭和恐慌は、社会不安を増大し閉塞感を蔓延させた。無力で失策を続ける政府に多くの国民は失望し、逆に軍部への期待が高まった(徴兵制のため軍部では下層階級の意見が通りやすかった)。ここに至って、もはや国内的な努力のみでは問題を解決できない状況となり、国外に活路を求める以外に無いという考えが台頭してくる。軍部は国民的支持を背景に自らが得意とする力による解決方法を探り、イギリスなどのブロック経済を模して、他地域への進出によって恐慌を乗り切ろうとした。これが十五年戦争の始まりと考えられる。
日本は満州事変によって満州という新たな殖民国家を得たが、それは中国の民族主義を刺激し日中関係の悪化を招いた。険悪の度合いは増し、盧溝橋事件を期に泥沼の日中戦争に引きずり込まれていく。日本の拡大主義はイギリスやオランダなどの周辺諸国、特にアメリカの警戒心を刺激し、石油や鉄クズなどの禁輸(ABCD包囲網の発動)という日本にとって極めて厳しい経済制裁を加えられる。その後も近衛文麿などによって戦争回避のための日米交渉が継続されたが、1941年、中国大陸からの全面撤退や日独伊三国軍事同盟の即刻破棄などを要求したアメリカの最後通牒(ハル・ノート)に反発した日本は、逆に欧米の太平洋や東南アジアにある領土を攻撃し、太平洋戦争(大東亜戦争)が勃発した。
日本軍首脳部は、アメリカとの膨大な国力差を真珠湾攻撃による緒戦の勝利と精神主義による早期講和で乗り切ろうとする。しかし、緒戦こそ善戦したものの戦争が長引くにつれ、経済力と技術力に勝る米国に押し返され、1945年(昭和20年)8月15日、敗戦を迎える。
十五年戦争は日本において三百万人の死者、中国において極めて多くの死者(一説には1~2千万人)を出した未曾有の惨事であった。この事実にたいし、建前だけの平和主義を唱えたり、あるいは逆に頑迷固陋に「戦前」の肯定に逃げることは許されないはずである。歴史的検証と他国理解に根ざした体系的な考察が求められる。
この戦争は、
- 社会不安→軍部台頭→膨張政策→諸国との摩擦→破滅的戦争→軍部崩壊→民主化