復活大祭
復活大祭はキリスト教の一教派東方正教会(日本ハリストス正教会)における最大の祭日。パスハとも呼ぶ。イエス・キリストの復活を記憶する祭りであり、西方教会諸派における復活祭(日本では英語由来のイースターとも)に相当する。 古代には日付と位置付けをめぐり論争があったが、現在は春分の後の満月の次の日曜日(主日)に行われる。パスハの名はユダヤ教の過ぎ越しの祭り(パサハ)に由来する。復活大祭がキリストの死を記念するものかキリストの復活を祝うものかについて、古代には激しい論争があった。前者はユダヤ暦のニサン14日、後者はその三日後に相当する日を主張した。論争の末、後者が主流となり、4世紀には日曜日に復活祭が行われるようになった。最終的な日付の確定は、325年の第1回ニカイア公会議で行われた。
正統信仰教会が東西に分かれた大シスマのあとも、両教会はこの同じ規定に基づいて復活大祭の日付を決定している。今日において、西方教会と東方教会で復活祭の日付はしばしば異なるが、この違い、西方教会がグレゴリオ暦、東方教会がユリウス暦を用いることに起因する。東方正教会はユダヤ教の過ぎ越しの祭りと復活大祭が重なるのを避け、その場合には復活祭の日付を遅らせるため、そのことによっても復活祭の日付がさらに遅れることがある。両者の復活祭の日付はほぼ7年ごとに一致する。2004年の復活大祭は4月11日であり、これは西方教会の復活祭と同じ日付である。
復活大祭の聖体礼儀は、土曜日から日曜日へと日付の変わる真夜中に行われる。ほとんどの教会では復活大祭の早課と第一時課を続けて行う。教会によっては、前日である聖大土曜日の晩堂課がその前に行われる。復活大祭は、信者が聖堂から退出し、教会の外で行われる十字行(十字架をかかげた司祭を先頭に信者が聖歌を歌いながら行列を行う)から始まる。聖堂を出るとき、堂内の照明は一切落とされる。聖堂を三周したのち、一同は聖堂正面にたち、司祭と聖歌隊の交唱により復活の讃歌を歌う。そののち司祭が「ハリストス復活」と呼びかけると、信者が「実に復活」(じつにふっかつ)と応じる。この応答は典礼においてはつねに三度繰り返される。こののち、一同は復活のトロパリ(讃歌)を歌いながら聖堂内に入り、蝋燭を献じ、またそれとは別に各人が手に灯した蝋燭をもち、典礼を執り行う(ハリストスは他派でいう「キリスト」に相当。日本ハリストス正教会の項を参照)。国によってはこの蝋燭を灯したまま家に持ち帰り、家庭の火をそれによって灯す。 聖体礼儀では『ヨハネによる福音書』の冒頭が読み上げられ、また聖師父金口イオアンの「復活祭の説教」が朗読される。生神女マリヤにも通常の時期とは違う特別の讃歌「恩寵を満ち蒙る者や」(受胎告知)や「新たなるイェルサリム」が捧げられる。
復活大祭の後、昇天祭までの時期を、復活節と呼ぶ。復活大祭の一週間は特に光明週間と呼び、この間はイコノスタシス中央の王門が開いたままにされる。光明週間の間は斎(ものいみ)が解禁となり、水曜日や金曜日の食事の節制は行われない。復活節の間は、通常の時期と異なり、祈祷の開始には「天の王」(聖神への祈り)のかわりに「復活のトロパリ」、祈祷の終了のマリヤへの讃歌は「常に福(つねにさいわい)」のかわりに「新たなるイェルサリム」を用いる。
「ハリストス復活」「実に復活」の応答は復活節の間、正教徒の間では、あいさつとして用いられる。
復活のトロパリ
ハリストス実に復活し、 死をもって死を滅し、 墓にある者に生命を給えり。
新たなるイェルサリム
新たなるイェルサリムよ、光り光れよ、 主の光栄爾(なんじ)に輝きたればなり。シオンよ、今祝いて楽め、 爾潔き(いさぎよき)生神女よ、 爾が生みし主(しゅ)の復活を喜び給え。
日本ハリストス正教会教団府主教庁『小祈祷書』平成3年再版