天智天皇
天智天皇(てんじてんのう)は、第38代に数えられる天皇。国風諡号は天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)。中大兄皇子、幼名を葛城皇子という。舒明天皇の皇子で、母は皇極天皇。正妻は異母兄弟の古人大兄皇子の娘・倭姫王。中臣鎌足らと謀って蘇我入鹿など蘇我氏を滅ぼしたあと、叔父の孝徳天皇を立てて自らは皇太子となる。そして大化という元号を制定し、さまざまな改革を行った(大化の改新)。孝徳天皇崩御後も長い間皇位に就かずにいたが、白村江の戦いで大敗を喫した後、大津へ遷都してそこで即位した。天智天皇は死に臨んで、息子の大友皇子に皇位を継がせたいと思ったが、崩御後に起きた壬申の乱により、弟の大海人皇子が勝利して即位した(天武天皇)。しかし、天武の系統の天皇は孝謙天皇(のち称徳天皇として重祚)までで、光仁天皇以降の天皇は、すべて天智の系統である。
天智天皇の歌は、小倉百人一首に採られ、冒頭に置かれている。大海人皇子から額田王を奪ったという話も有名。
プロフィール
626年(推古34年) - 誕生 645年(皇極4年)六月十四日 - 立太子 668年(天智7年)正月三日 - 即位 671年(天智10年)十二月三日 - 46歳で崩御天智天皇が長く即位しなかったことは、古代史における謎の一つであるが、このことについて興味深い説が二つ存在する。
一つは、天武天皇を推す勢力への配慮。即ち、従来定説とされてきた、天武天皇は天智天皇の弟ではあるというのは誤りで、皇極天皇が舒明天皇と結婚する前に生んだ漢皇子であり、彼は天智天皇の異父兄であるとする説に基づくものである。確かに、一部の歴史書に掲載される両天皇の享年をもとに生年を逆算すれば、天武が年長となってしまう。「父親が違うとはいえ、兄を差し置いて弟が。」ということなのである。
もう一つは、天智の女性関係に対しての反発から即位が遅れたとする説。これは、万葉集に記載された孝徳天皇が妻の間人皇女(天智の同母妹)に当てた歌に彼女と天智との不倫関係を示唆するものがあるとするものである。当時の人々の恋愛事情(異母兄弟姉妹間での恋愛・婚姻は許されるが、同母兄弟姉妹間でのそれは許されない。)を考えれば、この説も理解できる。現に天智の即位は間人の死後間もなくなのである。果たしてどちらが本当なのか、どちらも間違いなのか、興味深い問題である。
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