後楽園球場
後楽園球場(こうらくえんきゅうじょう)は1937年(昭和12年)9月11日に完成した野球場。かねてからフランチャイズ制を提唱していた河野安通志の尽力により、球場直属の野球部である後楽園イーグルスの本拠地として竣工。程なくして球場と球団の不和によりフランチャイズは解消され、1940年(昭和15年)頃からは東京巨人軍のホームグラウンドとなる。1930年代から1980年代のプロ野球を支えた。1950年にはナイター設備を設置。1958年には両翼を拡張(78m→90m)するなど施設の整備に努めた。
1950年代は読売ジャイアンツ、国鉄スワローズ、毎日オリオンズ、大映ユニオンズ、東急フライヤーズが本拠地として構えるなど日本一の球場の名を欲しいままにした。1960年代は国鉄が明治神宮野球場、大毎が東京スタジアムへと移転するものの巨人戦の莫大な観客動員数に支えられ、野球のメッカとしての不変の地位を占めた。
施設整備も進み、1966年には内野に天然芝を敷設し、1970年にはスコアボードを電光掲示化。1976年には人工芝を敷設した。しかしセントラル・リーグの巨人戦の動員力の大きさとは対照的に、パシフィック・リーグに所属していた東映は観客動員数に大きく水をあけられた。オーロラビジョンが完成した1981年は巨人対日本ハムの顔合わせとなり、日本シリーズが同一球場で開催された。
プロ野球球場として興行行う一方でボウリング、場外馬券、遊園地、屋内運動場などの施設も建設された。特記すべきは1949年11月に球場に隣接して東京都主催による競輪が開催されたことであり、戦後復興期の都財政を支えたが美濃部亮吉知事の公営ギャンブル廃止方針に伴い、1972年3月に休止。
施設は夏季にはプール・それ以外のシーズンにはゴルフ練習場として活用された。競輪場跡に東京ドームが建設されたことで球場としての役割をドームに譲り、1987年で解体され、跡地は東京ドームホテルとなった。