大杉栄
大杉 栄(おおすぎ さかえ、1885年1月17日 - 1923年9月16日)は、思想家・アナキスト。
生涯
父の大杉東は軍人、親戚にも軍人がいるという家庭環境で、新潟県丸亀で生れる。一家は東京に移り麹町区の幼稚園に通うが、父は近衛連隊から左遷され新発田に赴任。幼少年期のほとんどを新発田で過ごす。日清戦争にも赴いた父から折りにふれ軍人として仕込まれたこともあり、軍人をめざし1899年名古屋地方幼年学校に14歳で入学。学校内で奔放な生活を送るが「下士官どもの追窮が残酷」になり修学旅行での下級生への性的な戯れに対して禁足30日の処分を受ける。それまでの生活を反省するが「尊敬も親愛も感じない上官への服従を盲従」と思うようになる。憂鬱な気分が続き故郷の「新発田の自由な空を思う」。軍医から「脳神経症」と診断され、休暇で幼年学校の外に出ると快活な少年になれたが、学校に戻ると凶暴な気分になったという。同期生との喧嘩で相手にナイフで刺される騒動を起こし学校に発覚、1901年退学処分。
1902年、語学を学ぶため東京に出る。下宿先で谷中村の鉱毒事件への追及運動に触れ「万朝報」を購読し軍隊外の社会を知り、幸徳秋水、堺利彦たちの非戦論に共鳴。かれらによる平民社]]の結成を知り、講演会を聞いたり、1904年3月の「社会主義研究会」に出席。その後、頻繁に平民社に出入りする。 大杉は後に、この時期までを回想し『改造』誌等に「自叙伝」として発表。死後に未完ながらも『自叙伝』としてまとめられる。
1906年3月、電車値上反対の市民大会に参加、兇徒聚集罪により逮捕、6月に保釈。同年11月には『光』紙掲載の「新兵諸君に与ふ」で新聞紙条例違反で起訴され、社会主義運動の闘士となる。1908年1月17日、いわゆる屋上演説事件で治安警察法違反となり逮捕、同年6月22日、錦輝館に於ける山口孤剣の出獄歓迎会で赤旗を振り回し警官隊と乱闘でまたもや逮捕(赤旗事件)。 それまでの量刑も含み、2年半近くの刑務所生活を送る。 獄中でさらに語学を学びアナキズムの本も多読。
1910年9月、千葉刑務所から東京監獄に移され、幸徳秋水らの大逆事件に関連した取調べを受けるが弾圧は免れる。11月に出所。1911年1月24日、幸徳たちは処刑され社会主義運動は一時的に後退するなか、大杉は荒畑寒村とともに1912年10月『近代思想』、1914年10月『平民新聞』を発刊し定例の研究会を開き運動を広げようとする。しかし発禁処分の連続から経済的にも行き詰まる。アナキズムの立場を鮮明にしてきた大杉の態度に荒畑や古くからの同志の反発もあり、復活させた『近代思想』も1916年始めに廃刊。同年には伊藤野枝との恋愛も始まり、研究会への同志の参加も減る。妻堀保子との結婚も続く状況下、以前からの恋愛相手であった神近市子から11月に刺されるという日陰茶屋事件により同志たちから完全に孤立。野枝との共同生活を始めるが常に生活資金にも事欠いた。1917年9月、長女魔子が誕生。村木源次郎だけは大杉の家に同居し手伝う。年末になり労働者の町、亀戸に移転、野枝と『文明批評』を創刊。和田久太郎、久板卯之助も大杉と行動を共にする。前年のロシア革命勃発の影響もあり労働運動が盛り上がる機運となり、1918年2月、同志たちとの関係修復を図り研究会も再び定期的に開き、サンジカリズムの立場で労働運動への影響を強める。8月には九州、関西をまわり、大阪では米騒動の騒乱を目の当たりにした。
1919年1月、近藤憲二らが主催し、毎回労働者も参集していた北風会と研究会を合同、6月から8月にかけ「労働運動の精神」をテーマに講演を続ける。9月、「東京労働同盟会」と改称し機関紙『労働運動』の刊行を企図、同志たちと相談を始め、10月に創刊号を発行。拠点となる労働運動社に仲間たちが集まる。
1920年、不景気下で労働争議も増え大杉の活動は広がる。クロポトキンの著作翻訳、前年からの演説会もらい、メーデーを前にしての事前検束もされる。夏、コミンテルンから「密使」の訪問があり、10月、密かに日本を脱出、上海で開かれた社会主義者の集まりに参加。12月9日、社会主義者同盟結成に向かい鎌倉の大杉宅に地方らの出席者を中心に40名余り集まる。
1921年1月、コミンテルンからの資金でアナボル共同の機関紙としての『労働運動』(第二次)を刊行。しかし2月に腸チブスを悪化させ入院。6月、ボルの井伊たちの裏切りもあり共同路線が破綻し『労働運動』紙は13号で廃刊。12月にはアナキストだけで『労働運動』(第三次)を復刊させる。
1922年2月、八幡市での八幡製鉄所罷工二周年記念演説会に参加。この年前半、大杉は『労働運動』紙において「ソビエト政府」のアナキストたちへの弾圧を報告。信友会有志、労働運動社の同志とともに大杉も労働組合の連合を目指すため全国労働組合総連合会発足に努力するが9月30日、サンジカリズム派と総同盟派との対立にボルも介在し結成は失敗、アナ・ボル論争は激化。
後に大杉への追悼詩「杉よ!眼の男よ!」を執筆する中浜哲は大杉に接近、『労働運動』紙へ労働争議の現場報告、詩を頻繁に掲載、8月には富川町で「自由労働者同盟」を結成、新潟、中津川での朝鮮人労働者虐殺の実態調査に赴く、10月にはギロチン社を古田大次郎たちと結成する。
大杉は12月、翌年にベルリンで開かれる予定の国際アナキスト大会に参加のため再び日本を脱出し、上海経由で中国人としてフランスに向かう。マフノ運動の中心人物、マフノと接触も図る目的もあった。またアジアでのアナキストの連合も意図し上海、フランスで中国のアナキストたちと会談を重ねる。
1923年、大会がたびたび延期されフランスから国境を越えるのも困難になる中、大杉はパリ近郊のサン・ドニのメーデーで演説を行い、警察に逮捕されラ・サンテ監獄に送られる。日本人、大杉榮と判明、そのまま日本へ客船にて強制送還、7月11日神戸に戻る。滞仏中から滞在記が発表され後に『日本脱出記』としてまとめられる。東京に落ち着き、8月末にアナキストの連合を意図して集まりを開くが、進展を図る前に関東大震災に遭遇。
9月16日、柏木の自宅近くから伊藤野枝、甥の橘宗一と共に甘粕ら憲兵に連行され虐殺される。殺害の実行容疑者として憲兵大尉の甘粕正彦とかれの部下が軍事裁判にかけられる。公判内容は毎回新聞報道される。実行者としての甘粕と森は有罪判決となるが(服役中、刑期を短縮される)、戒厳令を発した国家権力と軍自体の責任は問われることはなく甘粕による個人犯罪と結論。国家と軍隊への責任追及が曖昧なまま今日に至る。
また震災時に於ける朝鮮人虐殺の責任逃れを正当化しようとした国家は、朝鮮と日本のアナキストの連合グループ、不逞社の朴烈、金子文子を大逆事件でフレーム・アップする。メンバーで獄中病死した新山初代は震災直前の8月、大杉に勉強会での講師依頼をし、また大杉の呼びかけた集まりにも出席していた。これらの事実は、官憲がまとめた訊問調書に記載。それらは公判記録として『アナーキズム』(『続・現代史資料』3、みすず書房、1988年7月)に収載されている。
12月16日、自由連合派の労働組合、アナキスト各団体が主催となり虐殺された三人の合同葬が行われる。労働運動社の和田久太郎、村木源次郎はギロチン社の中浜哲、古田大次郎らと共同して虐殺への報復を意図し、翌年の一周忌までに支配権力へ攻撃を企てるが失敗する。
参考文献
<一次資料、乃至一次資料の復刻版> 著書 『自叙傳』 1923年
『日本脱出記』 1923年
大杉栄が編集・刊行に関与した機関紙誌
『近代思想』
『平民新聞』
『文明批評』
『労働運動』
(いずれも復刻版が刊行されている)
著作
『生の闘争』 1914年 『社会的個人主義』 1915年発禁 『労働運動の哲学』 1916年 発禁 『獄中記』 1919年 『乞食の名誉』1920年伊藤野枝との共著 『クロポトキン研究』 1920年 『正義を求める心』 1921年 『悪戯』1921年 『二人の革命家』 1922年伊藤野枝との共著 『漫文漫画』 1922年 望月桂との共著 『無政府主義者の見たロシア革命』1922年近藤憲二編集
『随筆集生の闘争』1923年 『日本脱出記』 1923年 『自叙傳』 1923年 『自由の先驅』 1924年 『大杉栄全集』アルス版 1925年 - 1926年同志の著作
『死の懺悔』1926年 古田大次郎 春秋社 『獄窓から』1930年 和田久太郎 『死刑囚の思い出』 1930年 発禁 古田大次郎追悼号
『改造』 1923年11月 大杉栄追想号 『中央公論』 1923年11月「吾が回想する大杉」佐藤春夫 『労働運動』1924年3月大杉栄・伊藤野枝追悼号 『祖国と自由』 1925年9月 大杉栄追悼号1960,70年代刊行著作、関連書
『大杉栄全集』全14巻、現代思潮社。 大澤正道『大杉栄研究』、同成社、1968年7月 。 秋山清『大杉栄評伝』、思想の科学社、1976年11月。
研究文献
市原正恵「静岡市における大杉栄・伊藤野枝・橘宗一追悼の三十年」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 伊藤英一「「大杉栄のビラ撒き」・一九〇四年夏-平民新聞「名古屋より」の謎」、『初期社会主義研究』第7号、1994年3月。 上杉省和「大杉栄」、田中浩編『近代日本のジャーナリスト』、御茶の水書房、1987年2月。 梅森直之「規律と反抗の日々-大杉栄、名古屋幼年学校の八三五日」、『初期社会主義研究』第9号、1996年9月。 梅森直之「名あて人なき民主主義-大杉栄における「生命」と「主体」」、飯島昇藏編『両大戦間期の政治思想』、新評論、1998年3月。 梅森直之「芸術としての労働運動-大杉栄における「歴史」の問題」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 大沢正道『大杉栄研究』、同成社、1968年7月(法政大学出版局より1971年7月に同標題で新版発行)。 大澤正道「大杉栄研究拾遺」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 大澤正道編「大杉栄年譜」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 大杉豊「大杉栄、親・弟妹との絆」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 太田雅夫「大杉栄の自筆原稿と落書-「死灰の中から」の原稿を中心に」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 大和田茂「大杉栄、叛逆精神とメディア戦略」、『國文學 解釈と教材の研究』第47巻第9号臨時号、2002年7月。 岡崎正道「大杉栄-国家・社会「秩序」への挑戦」、岡崎正道『異端と反逆の思想史-近代日本における革命と維新」、ぺりかん社、1999年1月。 荻野正博『自由な空-大杉栄と明治の新発田』、新潟日報事業社出版部、1988年9月。 川上哲正「大杉栄のみた中国」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 近藤真柄ほか『九月は苦の月-橘宗一少年の墓碑保存運動の十年』、橘宗一少年の墓碑保存会、1985年9月。 後藤彰信「大杉栄、佐々木喜善との交友と平民社参加の頃」、『初期社会主義研究』第16号(特集=平民社百年)、2003年11月。 竹中労(貝原浩イラスト)『大杉栄』(『For Beginners』イラスト版オリジナル)、現代書館、1985年5月。 竹中労『断影 大杉栄』(『ちくま文庫』)、筑摩書房、2000年3月。 西山拓「大杉栄の「新しき村」批評-アナキズムと共同体主義の接点」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 飛矢崎雅人「大杉榮の個人主義とその自我思想」、明治大学大学院『政治学研究論集』第16号、2002年9月。 堀切利高解説「大杉栄ほか死因鑑定書」、『大正労働文学研究』創刊号、1978年10月。 堀切利高解題「堀保子・伊藤野枝・神近市子-資料」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 松本伸夫『日本的風土をはみだした男-パリの大杉栄』、雄山閣出版、1995年4月。 望月明美「大正・千駄木・大杉」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 山泉進「大杉栄、コミンテルンに遭遇す-(付)李増林聴取書・松本愛敬関係資料」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。 山泉進編「大杉栄著書目録(稿)」、『初期社会主義研究』第15号(特集=大杉栄)、2002年12月。
Herbert Worm, Studien uber den jungen Osugi Sakae und die Meiji-Sozialisten zwischen Sozialdemokratie und Anarchisums unter besonderer Berucksichtigung der Anarchismusrezeption, Hamburg : Gesellschaft fur Natur- und Volkerkunde Ostasiens, 1981.