大津事件
大津事件(おおつじけん)とは、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中のロシア皇太子ニコライが、滋賀県大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した事件である。この事件で日本政府は、欧州の一大強国のロシアに対する気兼ねから、天皇自らが軽傷の皇太子を見舞い、裁判所に対しては、刑法73条に規定する大逆罪を適用して津田三蔵を死刑にするように働き掛けた。
しかし、法的に見ると相手は外国の皇族であって、法律上は一般人と全く同じ扱いになり、怪我をさせただけで死刑を宣告するのには無理があった。この裁判を担当した大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は法治主義遵守の立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」 として政府の圧力をはねつけ、一般人に対する謀殺未遂罪を適用して無期徒刑(無期懲役)の判決を下した。
この事件判決により、曖昧だった大日本帝国憲法の三権分立が明確になり、国際的には日本の司法権に対する信頼を高めることとなった。児島が司法の独立を守った事件として語り継がれている。
1993年、ロシア皇帝のものと推定される墓の鑑定に使うため、このときにニコライ皇太子の手当てをした布から皇太子のDNAが採取された。しかし、サンプルが少なすぎて役には立たなかった。