北海道日本ハムファイターズ
北海道日本ハムファイターズ(ほっかいどうにっぽん-)は日本のプロ野球球団でパシフィック・リーグの球団のひとつ。本拠地は札幌ドーム(北海道札幌市)。2軍の本拠地はファイターズスタジアム・鎌ヶ谷(千葉県鎌ヶ谷市)。
球団の歴史
1946年、戦前の東京セネタースの中心人物だった横沢三郎がセネタース再興を目指しセネタースを設立。大下弘、飯島滋弥、白木義一郎など即戦力選手を集めたが、個人で立ち上げた球団だったため財政的に非常に厳しく、ユニフォームなど戦前の阪急軍のお下がりという状態だった。資金不足により横沢は球団経営を諦め、翌1947年1月7日、東京急行電鉄にチームを売却。チーム名を東急フライヤーズ(とうきゅう-)とした。中心打者の大下は球界屈指の人気選手となり多くのファンを惹きつけた。1948年、プロ球界入りを画策したノンプロの大映球団が経営に参加し球団名を急映フライヤーズ(きゅうえい-)に改称。大映は金星スターズを別途買収する事が決まり、フライヤーズの運営から手を引きチーム名は1年で元に戻った。1949年シーズンオフの2リーグ分裂でパ・リーグに加盟。1953年9月、東急沿線の世田谷区駒沢公園(現・駒沢オリンピック公園)に自前の駒沢球場が完成し、文京区の後楽園球場から移転。奔放なプレースタイルから「駒沢の暴れん坊」の異名を取った。 1954年2月1日、経営権が東急から東映に移り東映フライヤーズ(とうえい-)に名称変更。駒沢球場が1964年の東京オリンピックの整備計画のために取り壊されることを受けて、1962年に新宿区の神宮球場に本拠を移す。同年、水原茂監督の下で土橋正幸、尾崎行雄の両エースが大車輪の活躍をし初のリーグ優勝・日本一に輝く。これが東映時代唯一の優勝となった。国鉄スワローズの神宮進出に伴い1964年に後楽園球場に舞い戻るが、映画産業の斜陽や「黒い霧事件」による人気低迷なども響いた上、1971年名物オーナーだった大川博が急逝。東映、東急とも球団経営を諦め、1973年2月7日に岡田東映社長・五島東急社長共通の知人で、首都圏で不動産産業やパチンコ店を展開する西村昭孝が経営する日拓ホームに身売り。チーム名は日拓ホームフライヤーズ(にったく-)に改称。西村は低迷したパ・リーグに活気を取り戻そうと7色のユニホームを開発するなどしてPRをしたものの客寄せにもならず、1リーグ化を睨んだロッテとの合併話も反対されて、同年終了後わずか1シーズンで日本ハムに身売りした。
1973年11月19日に日本ハムに売却。チーム名は日本ハムファイターズになり、「フライヤーズ」のニックネームは26年で消滅した。1974年から1977年までの4年間はBクラスをさまよったが、1978年~1980年の3年連続3位の後、1981年に大沢啓二監督のもとで東映時代から数えて2回目のリーグ優勝を飾る。優勝請負人といわれた江夏豊、15勝無敗の間柴茂有を中心とする投手陣、打撃陣では4番ソレイタの活躍が光った。その後は優勝から遠ざかる。1988年から後楽園球場の後継球場である東京ドームを使用。1998年は前半戦独走し優勝間違いなしと思われたが、後半まさかの失速で優勝を逃した。2002年開幕前に札幌移転構想が浮上。準本拠化を計画していた西武ライオンズからの反発もあったが、他球団の公式戦試合も開催するという条件を付け2004年から本拠地を北海道・札幌ドームに移転。地域に密着したチーム作りを目指している。
チーム成績・記録
優勝(1962、81) 日本一(1962) Aクラス(1959、61~67、78~83、87~88、93、96、98、2000) Bクラス(1946~58、60、68~77、84~86、89~92、94~95、97、99、2001~03) 最多勝 83勝(1961) 最多敗 92敗(1956) 最多引分 13分(1984) 最高勝率 .611(1961) 最低勝率 .364(1955)
その他の記録
最小ゲーム差 1.0ゲーム(1993) 最大ゲーム差 48.0ゲーム(1956) 最多本塁打 177本(2000) 最小本塁打 40本(1955、58) 最高打率 .278(2000) 最低打率 .216(1956) 最高防御率 2.39(1961) 最低防御率 4.98(1984)
チーム名変遷
1946 セネタース 1947 東急フライヤーズ 1948 急映フライヤーズ 1949―53 東急フライヤーズ 1954―72 東映フライヤーズ 1973 日拓ホームフライヤーズ 1974―2003 日本ハムファイターズ 2004― 北海道日本ハムファイターズ
チーム特徴
戦前の東京セネタースとは資本の面でも球団系統の面でも関係ない。 1947年~1973年に使われた愛称「フライヤーズ」は鳥の英語表現から取った愛称だが、東京急行の「急行」の意も含むという説がある。1974年から使われている「ファイターズ」は「闘士」の英語から取った。 巨人とチームカラーが同じだったため、差別化を図るために1982年からアンダーシャツをオレンジに変更した。1993年からは縦じまに変更。 巨人と本拠地を共有していた縁から、水原茂や高田繁など巨人OBも監督に招かれている。
歴代本拠地
1950―53 後楽園球場 1953―61 駒沢球場 1962―63 神宮球場 1964―87 後楽園球場 1988―2003 東京ドーム 2004― 札幌ドーム- ※1953年8月まで後楽園を使用、同年9月より駒沢球場へ移転。
歴代監督
横沢三郎(1946) 苅田久徳(1947~48) 井野川利春(1949~50、52~54) 安藤忍(1951) 保井浩一(1955) 岩本義行(1956~60) 水原茂(1961~67) 大下弘(1968) 松木謙治郎(1969~70途中) 田宮謙次郎(1970途中~73途中) 土橋正幸(1973途中~73、92) 中西太(1974~75) 大沢啓二(1976~83、84途中~84、93~94) 植村義信(1984~84途中) 高田繁(1985~88) 近藤貞雄(1989~91) 上田利治(1995~99) 大島康徳(2000~02) トレイ・ヒルマン(2003~)