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国産化の模索ここでは日本の鉄道技術に関する国産化の模索(こくさんかのもさく)について記述する。 鉄道技術の国産化は明治政府にとって急務であった。 政府直営はもちろんの事、民間車両工業の勃興を画策して大阪に汽車製造会社、名古屋に日本車両株式会社を設立させ積極的な展開を図った。海外より輸入される機関車のコピー生産を民間各社に発注し技術力を磨かせるとともに、技官を海外へ留学させ自主設計の学術的、技術的な地盤を固めてゆく。コピーそのものは明治半ばには可能であったが、基礎技術について自信を深めるには明治の末まで待たねばならなかった。また車軸など特殊な鋼製部品の国産化は第一次世界大戦による輸入品途絶を待たねばならなかった。 大正時代に入り、ようやく本邦オリジナルの設計の幹線用蒸気機関車が登場し始める。その傑作が貨物用の9600型(愛称キューロク)であり、旅客用の8620型(愛称ハチロク)であった。特に9600型は引退してゆく後輩を尻目に日本の蒸気機関車の終焉を見届ける長命を誇る事になる。 |
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