国立戒壇
国立戒壇(こくりつかいだん)とは、日本が国家として建立する本門の戒壇(日蓮の三大秘法の一つ)、との意味。身延派日蓮宗系の在家団体・立正安国会(後の国柱会)の創立者である田中智学が、1902年の『本化妙宗式目』(ほんげみょうしゅうしきもく)において最初に提唱した概念であり、大日本帝国時代の法華宗各派においてこの構想は、”天皇帰依の実現こそ広宣流布実現の近道”という当時の一般的な状勢判断と結びついて、広汎な支持を受けた。日蓮正宗においては第二次世界大戦の敗北後も、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を安置するための事の戒壇を指す用語として依然使用され続けた。第65世日淳上人の時代までは、”国立戒壇論は日蓮正宗にこそ起源があり、明治15年に日蓮正宗との法論「横浜問答」において敗北した三大秘法も知らぬ日蓮宗の田中智学は日蓮正宗の教義を盗用した”と主張していたが、第66世日達上人の時代になると、創価学会が起こした言論抑制事件や日本共産党委員長宅盗聴事件、およびこれに伴う折伏活動の停滞を契機に主張を変更し、国立戒壇は世間に受け入れられやすかったので使用したが、今後は使用しない。としてその用語を宗内に禁止した。なお、田中智学からアイディアを盗用した事について、未だに国柱会へ謝罪していない。 現在では日蓮正宗や創価学会サイドが冨士大石寺顕正会を攻撃するネタ的扱いだが、世論から教義を攻撃されるまで、「正本堂=国立戒壇=事の戒壇」と印象づけして資金調達を進めていた事を忘れたふりをする等の大石寺系宗教団体に共通する教義の場当たり的解釈や指導者達の言い逃れ体質の象徴となっている。
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