山田線
東日本旅客鉄道の鉄道路線。本稿で詳述する。 近畿日本鉄道の鉄道路線。近鉄山田線を参照。山田線(やまだせん)は、岩手県盛岡市にある盛岡駅と岩手県釜石市にある釜石駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。北上線同様、周りの他のJR線のような愛称は付けられていない。
宮古駅~釜石駅の区間は三陸海岸沿いを走り、気仙沼線・大船渡線・三陸鉄道などとともに三陸縦貫線を構成する。釜石線営業所の管轄下である浪板海岸駅から釜石駅までの各駅には、釜石線同様エスペラントによる別名が付けられている。
路線データ
管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者) 区間(営業キロ):盛岡~釜石 157.5km 軌間:1067mm 駅数:30駅(起終点駅含む) 複線区間:全線単線 電化区間:全線非電化 閉塞方式:連査閉塞式(盛岡~宮古間)、特殊自動閉塞式(宮古~釜石間)
運行形態
運行系統としては、盛岡~宮古間の山地越え区間と、宮古~釜石間の三陸海岸区間に分かれており、両区間を直通する列車はない。また、線路名称上の起点は盛岡であるが、列車運行上は釜石で接続する釜石線などとあわせて盛岡に向かう列車が下り扱い(列車番号が奇数)となっている。
盛岡~宮古
全国でも屈指の閑散線区であり、全区間を直通する列車は、1日に4往復が設定されているに過ぎない。また、そのうち1往復半(下り1本、上り2本)は、主要駅停車の快速「リアス」である。また、盛岡側では上米内~盛岡間の区間列車、宮古側には宮古~川内間の区間列車のほか、宮古~茂市間に岩泉線直通列車が乗入れる。;快速「リアス」停車駅
- 宮古 - 茂市 - 陸中川井 - 区界 - 上米内 - 山岸 - 上盛岡 - 盛岡
宮古~釜石
三陸縦貫線の一部として、三陸鉄道南リアス線・北リアス線と相互直通運転を行っている。また、快速「はまゆり」1往復が釜石線経由で宮古~盛岡間に運転(快速運転は上りのみ)されている。;快速「はまゆり」停車駅
- 宮古 - 陸中山田 - 大槌 - 鵜住居 - 釜石 - (以降釜石線)
車両
盛岡-宮古間は、キハ58や、キハ52などが運転されている。 一部の車両は、車体塗装が赤地に窓周りがクリーム色の国鉄色に変更されて運転されている。 宮古-釜石間は、釜石線と共通運用の、キハ100が運転されている。
歴史
盛岡~陸中山田間は、盛岡と三陸地方を結ぶ鉄道として、1892年公布の鉄道敷設法にすでに規定されていた区間である。測量調査が行われたものの、盛岡~宮古間で標高1000mを超す山地を越えるため、予定線の検討は行われたものの、建設は具体化しないままとなってしまった。地元岩手県出身の原敬が首相となった1920年に至って漸く建設が決定され、1923年から1935年にかけて開業した。陸中山田以南の区間は、改正鉄道敷設法別表第7号に規定する「岩手県山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道」の一部で、三陸縦貫線を構成する予定線であったが、釜石までの区間は、前述の区間に引き続いて戦前の1939年までに開業したものの、釜石以南については戦後の建設、開業となり、現在三陸鉄道南リアス線となっている。
盛岡~宮古間は山の中である。この路線を敷設するかどうかを帝国議会で審議した際、野党憲政会は猛烈に反対し、同党議員からの「こんな所に鉄道を敷いて、首相は山猿でも乗せるつもりか。」という非難に対し、原敬首相(当時)は、「鉄道規則を読んでいただければわかりますが、猿は乗せないことになっております。」と平然と答弁した、というエピソードがある。
また、太平洋戦争後の1946年11月、山田線は風水害により平津戸~蟇目間が長期運休となった。全線復旧に1954年までの8年間を要した大災害であり、その代替として釜石線の改築が促進された。
1923年10月10日 【開業】山田線 盛岡~上米内(9.9km) 【駅新設】上盛岡、上米内 1928年9月25日 【延伸開業】上米内~区界(25.7km) 【駅新設】大志田、浅岸、区界 1930年10月31日 【延伸開業】区界~松草(8.0km) 【駅新設】松草 1931年10月31日 【延伸開業】松草~平津戸(8.6km) 【駅新設】平津戸 1933年11月30日 【延伸開業】平津戸~陸中川井(21.3km) 【駅新設】川内、箱石、陸中川井 1934年11月6日 【延伸開業】陸中川井~宮古(28.6km) 【駅新設】腹帯、茂市、蟇目、千徳、宮古 1935年11月17日 【延伸開業】宮古~陸中山田(26.5km) 【駅新設】磯鶏、津軽石、豊間根、陸中山田 1936年11月10日 【延伸開業】陸中山田~岩手船越(5.0km) 【駅新設】織笠、岩手船越 1938年4月5日 【延伸開業】岩手船越~大槌(11.6km) 【駅新設】吉里吉里、大槌 1939年9月17日 【延伸開業・全通】大槌~釜石(12.3km) 【駅新設】鵜住居、釜石 1943年11月22日 【貨物線開業】宮古~宮古港(2.0km) 【駅新設】(貨)宮古港 1946年11月26日 【営業停止】平津戸~蟇目(風水害による) 1949年3月5日 【営業再開】蟇目~茂市 1951年7月23日 【仮停車場新設】両石 1952年2月10日 【駅新設】山岸 1953年3月25日 【営業再開】腹帯~茂市 1954年9月1日 【仮停車場→駅】両石 1954年11月21日 【営業再開】平津戸~腹帯(全線復旧) 1961年12月20日 【駅新設】花原市、浪板 1984年2月1日 【貨物線廃止】宮古~宮古港(-2.0km) 【駅廃止】(貨)宮古港 1986年11月1日 【貨物営業廃止】盛岡~釜石 1987年4月1日 【承継】東日本旅客鉄道 1994年12月3日 【駅名改称】浪板→浪板海岸
蒸気機関車の復活運転
1987年7月から、廃線となっていた宮古~宮古港間の貨物線を利用して、蒸気機関車の復活運転が実施された。これは、地元の「甦れSL C10-8運営協議会」が宮古市のラサ工業株式会社の専用線で使用されていたC10形蒸気機関車(C108)に貨車改造の客車2両を連結し、SLリアス線「しおかぜ号」として1989年までの夏休み期間及び9~10月の休日に運行したものである。鉄道事業ではなく遊戯施設扱いであったが、宮古市役所前のはまぎく駅からうみねこ駅までの1.4kmで、途中にミニ浄土ヶ浜公園前駅が設けられていた。また、1992年にも「三陸・海の博覧会」に協賛して、市役所前~白浜丸発着所間の約0.5kmで機関車のみの展示運転を実施している。この展示運転に使用されたC108は、1994年に大井川鉄道に譲渡されている。
駅
盛岡駅 - 上盛岡駅 - 山岸駅 - 上米内駅 - 大志田駅 - 浅岸駅 - 区界駅 - 松草駅 - 平津戸駅 - 川内駅 - 箱石駅 - 陸中川井駅 - 腹帯駅 - 茂市駅 - 蟇目駅 - 花原市駅 - 千徳駅 - 宮古駅 - 磯鶏駅 - 津軽石駅 - 豊間根駅 - 陸中山田駅 - 織笠駅 - 岩手船越駅 - 浪板海岸駅(Ondokrestoj:波頭) - 吉里吉里駅(Regolando:王国) - 大槌駅(Lumoturo:灯台) - 鵜住居駅(Plago:砂浜) - 両石駅(Fishaveno:漁港) - 釜石駅(La Oceano:大洋)
接続路線
盛岡駅:東北新幹線・東北本線・田沢湖線(秋田新幹線)・いわて銀河鉄道線 茂市駅:岩泉線 宮古駅:三陸鉄道北リアス線 釜石駅:釜石線・三陸鉄道南リアス線