大都
大都(だいと)は、モンゴル帝国(元朝)のフビライ・ハーンが1267年から26年を費やして現在の北京の地に造営した都市で、元朝の冬の都である。北京地方はモンゴル高原・東北地区(満州)と中国中原の間の中継点に当たることから軍事的に重要な土地で、契丹人の遼のとき北方民族の支配下に置かれ、遼を滅ぼした金が首都中都大興府を置いた。モンゴルの圧力を受けた金が中都を放棄して以来、一時衰えたが、モンゴル本土と中国の中継点であることから復興され、通商を重視したフビライの元で経済的に著しく発展した。大都には西方の旅行者・商人も多く訪れ、その繁栄ぶりは、イブン・バットゥータやマルコ・ポーロなどの旅行記でヨーロッパにまで伝わった。
1368年にトゴン・テムル・ハーン(順帝)により放棄されると、明のもと大都は北平と改称され、規模を縮小されて、太祖洪武帝(朱元璋)の四男、燕王朱棣に与えられた。朱棣が靖難の変で帝位を奪い、永楽帝として即位すると対モンゴル政策の拠点として再び重視され、大都の3分の2程度の規模で北京が建設され、明の首都となった。