南雲忠一
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年3月25日 - 1944年7月8日)は、日本海軍の軍人。山形県米沢市出身。
開戦時は第一航空艦隊司令長官。1941年12月8日未明(現地時刻は7日朝)にハワイオアフ島真珠湾にあるアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊の母港を奇襲攻撃。大戦果を挙げるも、二次攻撃を行わなかった。
1942年6月6日 ミッドウェー海戦に参加(赤城に座乗)。攻撃機の半数は雷装で待機させよという連合艦隊の命令に反して武装転換命令をたびたび行い敗因の主因となったが、責任をうやむやにする海軍省の人事で降格等はされなかった。
1944年3月4日にサイパン島守備隊司令官着任。
同年7月8日に同島参謀長の介錯により自刃。享年57。
死後海軍大将に昇格。
得意分野は水雷戦であり、航空艦隊の司令官に任命されたのは単なる年功序列によるものに過ぎず、適材適所でなかったとされる。