冒頓単于
冒頓 単于(ぼくとつ ぜんう ? - 紀元前174年)は、秦末~前漢前期にかけての匈奴の単于。冒頓は名であり、単于とは匈奴の言葉で君主を指し、漢語で言うところの皇帝に相当する。父は頭曼。当初は、父の後継者に立てられていたが、父の後妻が、男子を産み、頭曼の関心がこの異母弟に向けられると、冒頓は邪魔者扱いされ、月氏の元に人質として送られる。間もなく、頭曼は月氏が無礼であるとの理由で、月氏に戦争を仕掛ける。言うまでもなく、冒頓が月氏の手で殺害されるのを見越してである。しかし、この危機を悟った冒頓は、間一髪のところで脱出に成功し、父のもとに逃亡する。
だが、これ以降、頭曼との関係は悪化し、秘密裏に私兵を養成していた冒頓はクーデターを起こし、父、継母、異母弟及びその側近を抹殺した上で、単于に即位した。その直後から、他の部族に対して、積極的な攻勢をかけ、東胡を滅亡させ、月氏を西方に逃亡させた。さらに、秦末の動乱とそれに続く楚漢戦争で中国全土が混乱している隙に、頭曼の代に、始皇帝が派遣した将軍・蒙恬によって奪われていた旧領土を回復した。
紀元前200年、40万の軍勢を率いて代を攻め、その首都・馬邑で代王・韓王信を寝返らせ、さらに白登山で劉邦(高祖)の親征軍・32万を破り、漢と自らに有利な条件で講和した。これにより、約60年間、武帝が大規模な対匈奴戦争を開始するまで、匈奴は漢から毎年贈られる財物により、経済上の安定を得、さらに韓王信や盧綰等の漢からの亡命者をその配下に加えることで勢力を拡大させ、北方の草原地帯に一大遊牧国家を築き上げることとなった。これには、成立したての漢王朝は対抗する手段を持たず、冒頓から侮辱的な親書を送られ、一時は開戦も辞さぬ勢いであった呂雉も周囲の諌めにより、婉曲にそれを断る内容の手紙と財物を贈らざるを得なかったという。