北部同盟 (アフガニスタン)
北部同盟(ほくぶどうめい)は、1996年9月のターリバーンのカブール制圧ののち、反ターリバーン政権として北部アフガニスタンを統治した勢力。正式名称をアフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線(Jabha-yi Muttahid-i Islāmī-yi Millī barā-yi Nijāt-i Afghānistān)といい、パキスタンによって「北部同盟」と呼称されたものが外国のマスメディアに浸透し、もっぱら北部同盟(Northern Alliance)と呼ばれるようになった。
政府は、ターリバーン以前にカブールでムジャーヒディーン連合政権の大統領の座にあったブルハーヌッディーン・ラッバーニーが引き続き大統領職を務め、閣僚も国防省マスードをはじめとして、1996年のカブール陥落以前の閣僚がほとんどそのまま留任された。北部同盟に加わった主要な組織は、アフマド・シャー・マスードらタジク人を中心とするイスラム協会、ウズベク人軍閥アブドゥッラシード・ドスタムのイスラム民族運動などであり、アフガニスタンの多数民族であるパシュトゥーン人主体ターリバーンに対して、少数民族の連合という側面もあった。
ターリバーン支配地域の拡大に伴って北部同盟の支配地は2001年までに後退を続け、同年9月9日マスードが暗殺されるに至って窮地に陥ったが、2日後のアメリカ同時多発テロ事件後、ターリバーンが首謀者と目されたオサーマ・ビンラーディンの引き渡しを拒否したためにアメリカ合衆国の全面的支援を受けて攻勢に転じ、11月13日、首都カブールを奪還、国土の大半を支配下に置いた。
北部同盟は同年11月27日よりドイツのボンで開かれた主要四派協議に参加し、四派のひとつザーヒル・シャー元国王派のハーミド・カルザイを議長とする暫定行政機構の立ち上げに12月5日に合意。北部同盟が過半数の閣僚ポストを獲得し、ラッバーニーは政治の表舞台から退いたが、イスラム協会のタジク人が外相、内相、国防相などの主要ポストを独占した。