奈良時代
奈良時代(ならじだい)は日本史の時代区分のひとつ。710年(和銅3)に元明天皇が平城京に都を移してから、794年(延暦13年)に桓武天皇によって平安京に都が移されるまでの約80年間。都が主に平城の地にあったため奈良時代とよぶ。この遷都には藤原不比等が活動し、中国の都長安を模した都を造ったが、役人が大半を占めていたという。
前時代に撰定・施行された「飛鳥浄御原令」「大宝律令」が、日本国内の実情に合うように多方面から検討し変更されながら、試行錯誤しながら、律令国家・天皇中心の専制国家・中央集権国家を目指した時代であった。また、天平文化が華開いた時代でもあった。
律令制国家
718年(養老2)藤原不比等らに命じて、律令を選定する。757年(天平宝字9)養老律令を施行する。
律令制下の天皇権力
律令制下の天皇は、政治の全てに渡って権力を掌握されていた。貴族や官人の官職及び官位を改廃する権限、
中央官制と地方行政組織
大宝律令の制定によって、律令制国家ができあがった。中央官制は、二官八省と弾正台と五衛府から構成されていた。地方の行政組織は、国・郡・里で統一された。里はのちに郷とされた。さらに道制として、畿内と東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の七道に区分され、その内部は六六国と壱岐嶋・対馬嶋の二嶋が配分された。軍団は各国に配置され、国司の管轄下におかれた。人民は公地公民制がしかれ、戸籍により班田が支給された。税は、租庸調と雑役から構成されていた。742年(天平14)大宰府を廃止し、翌年、筑紫に鎮西府を置く。しかし、745年(天平17)大宰府を復活する。
公地公民制の実施
743年(天平15)田地開墾のために
天平文化
『記・紀』・風土記と万葉集の編纂
714年(和銅7)紀清人・三宅藤麻呂に国史を撰集させる。720年(養老4)舎人親王、『日本紀』30巻・系図1巻を撰上する。諸国に「風土記」の編纂を命ずる。留学生や留学僧を留学させ、唐の文物を取り入れる。716年(霊亀2)阿倍仲麻呂・吉備真備・僧玄昉ら唐に留学する。
仏教の興隆
聖武天皇、741年(天平13)国分僧寺や尼寺を全国に建てさせ、また743年(天平15)廬舎那仏金銅像(大仏)の造立を発願し、国家の安泰を願う。紫香楽で工事始まる。752年(天平勝宝4)聖武太上天皇・光明皇太后・孝謙天皇、東大寺に行幸し、大仏の開眼供養を行う。
遷都
その後、寺社勢力が強くなってきたため桓武天皇が、784年(延暦3)山背国長岡京に新たな都を造成したが、工事責任者が暗殺、桓武の弟が捕まると言う事態になり、794年(延暦13)平安京に新たに造成、遷都した。山背国を山城国と改め、新京を平安京と名づける。
ヤマト政権形成以来、天皇家一族内の皇位争いが続き、それと関連して豪族や貴族の権力争いが絡まって権力闘争が続き、この後も続いてゆく。奈良時代も皇位争いと権力闘争の時代であったと云わねばならない。
この時代の人物
聖武天皇 藤原不比等 山上憶良 行基 長屋王 藤原四兄弟 武智麻呂 房前 宇合 麻呂
関連項目
飛鳥時代 - 奈良時代 - 平安時代
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