大航海時代
大航海時代(だいこうかいじだい)とは、ヨーロッパの商人・探検家が世界中を航海した時代(15世紀中ころ~17世紀中ころ)。ヨーロッパ人にとっての新航路開拓・アメリカ大陸発見・東アジア発見は、以後の世界を大きく変貌させた。
背景
1453年にオスマン帝国がビザンツ帝国を滅ぼし、高い関税をかけたため、ヨーロッパ諸国はイスラーム商人を介さない絹・香料・陶器などの産地との直接貿易を望んでいた。そのころ四角帆と三角帆を組み合わせたキャラック船やキャラベル船といった遠洋航海に耐えうる船舶が登場し、遠隔地との貿易は現実味を帯びることとなった。
スペインやポルトガルにおいては、レコンキスタによってイスラーム勢力をイベリア半島から駆逐したこともあり、その勢いをかってさらなる領土拡張の野心を持った。
また宗教改革がヨーロッパを席巻し、新たな使命感に燃えたキリスト教諸派は布教活動を強化し、信者獲得のためにしのぎを削っていた。
王侯貴族から探検家、宗教家までもが一攫千金に魅せられて、ひとつの新発見がさらなる欲望を生み出し、マルコ・ポーロの東方見聞録などがこうした状況に拍車をかけていた。
つまり "早い者勝ち" の状況が、当時のヨーロッパ人の発見競争心を駆り立てたのである。
アフリカ大陸
ポルトガル王ジョアン1世の3人の王子は、騎士になるための条件として、1415年に北西アフリカのセウタを攻略した。中でもエンリケ王子は西アフリカにとどまって沿岸の探検と開拓を行った。この時期ポルトガルはカナリア諸島、マディラ諸島を探検し、エンリケが死ぬ1460年ごろにはポルトガル人はシエラレオネの付近まで進出した。さらに象牙海岸、黄金海岸を探索、1482年現在のガーナの地に城塞を築き金や奴隷の貿易を行った。
1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端の喜望峰にまでたどり着いた。続いて、バスコ・ダ・ガマは1498年5月20日喜望峰を越えてインドのカリカットに到着し、ここにアフリカ周りのインド航路が開拓された。
その後、ポルトガルはセイロン島、マレー半島などに進出して、1557年マカオに拠点を置いた。1543年中国船に乗ったポルトガル人が日本の種子島に漂流し鉄砲を伝えた。
アメリカ大陸
イタリアのジェノバの商人であったコロンブスは西周りインド航路を開拓しようと考え、1484年ポルトガルに航海の援助を要請した。しかし、アフリカ航路開拓を進めていたポルトガルはこの要請を却下した。
コロンブスは1486年にスペイン(カスティリャ)女王のイザベルとその夫のアラゴン王のフェルナンド5世)に援助を依頼し、1492年両王は援助に合意しコロンブスは大西洋を西へ出発した。コロンブスは10月12日バハマ諸島に到着し、翌年スペインにもどった。コロンブスは終生そこがインドだと信じて疑わなかったが、1501年アメリゴ・ベスプッチは南アメリカを探検し、そこが北米大陸の東に位置する島々であることを明らかにした。
南米大陸では、1500年ポルトガルのカブラルがブラジルに到着し、同地をポルトガル領とした。
世界周航
スペインの命を受けたマゼラン(マリャンイス)は1519年セビリアから5隻の船で出発して、1520年南米南端のマゼラン海峡を通過して、1521年にフィリピンに到着した。マゼランはその地で戦死したが、その部下エルカノが率いるヴィクトリア号1隻が1522年にセビリアに帰港し世界周航を果たした。