活字
活字(かつじ)とは、活版印刷の際に文字の図形を対象(特に紙)に印字するものである。また、印刷物にすることを「活字にする」とも言うように、広義には印刷やコンピュータ画面による文字全般を指すことから、狭義の活字を金属活字と表現することもあるが、木活字などもあるため正確な表現とは言い難い。
歴史
グーテンベルク
グーテンベルクによってドイツで開発された活版印刷において、いままで筆写するしかすべのなかった本づくりが、大いに簡単になった。この頃の活字は木を彫って使うものだったが、グーテンベルクによって大量印刷に適する活字合金の金属活字が実用化されたことにより、次第に置き換わっていった。初期の活字字形にはルネサンス時代の書字を参考に作られ、ゴシック体と呼ばれた。その後活字に向く書体としてGaramondなどが作られ、時代が下り、ユニバースなどの自由な活字も登場した。
日本への伝来
日本に活字が入ってきたのは16世紀で、イエズス会が聖書を翻訳出版するために持ち込んだ。これはキリシタン版と呼ばれる。ほかにも徳川家康の命による駿河版銅活字などが製作されたが、環境などの諸条件が整わず、普及することはなかった。ヘボンは鎖国崩壊後聖書と和英辞典を作る際日本で印刷できずに中国の美華書館で印刷した。美華書館の明朝体の活字は、その字数のあまりの多さから、部首ごとに部品として分解し、組み合わせて一つの文字とする方式であった。これは文字のバランスという面では良いとは言えない方法ではあったが、保有する活字の字数を抑制するためには有効な方法であった。現代に連なる日本の金属活字の父としては本木昌造の名が挙げられよう。オランダ通詞をしていた彼は西洋の技術に出会い、吸収していった。彼は印刷にも挑戦していくが、当初は木版と同じ整版印刷を念頭に置いていたとされる。その理由としては日本語は漢字や仮名が多く活字の製作が困難であったことも挙げられる。やがて活版の利便性がそれに優ると感じた彼は西洋式印刷術を志し、金属活字の大量鋳造を幾度も試みたが為し得ず、当時上海にいたウィリアム・ガンブルを迎えて、電胎母型法などを教授された。ガンブルは中国の宣教師がその印刷所としていた美華書館の元館長で、初期の本木らの活字は美華書館の摸造品に少し手を加えたものに過ぎなかった。
活字の字体は清の康熙帝が編纂せしめた康煕字典に拠っており、日本の筆写体とは大きく異なっていた。そのため、行書体や楷書体による活字も製作されたが、結局明朝体のものが定着した。本木らのグループはやがて築地活版製造所として会社組織を組みしていき、活字も彫りなおしがなされ、日本独自のものとなっていった。その後、築地活版の活字を購入し、そこから自らの活字にしていく動きが出た。その主たるものが秀英舎(現在の大日本印刷)の活字である。
号数活字
日本における活字のサイズは号数活字とポイント活字の二本柱があった。この号数制は本木が整理したものと言われ、初号から8号までの9種類のサイズから成るが、号数とサイズの関係が直感的に分かりづらいものではあった。しかしポイント制が隆盛する中でも随所で使われ続け、新号数制の提唱など混乱は長く続いた。号数活字はクジラ尺の一分を基準単位として本木が策定したと言われてきたが、当初のそれは美華書館の明朝活字の流用であったことが明らかにされていることから、すべてを彼の発案とする説は妥当ではない。しかし本木が中国の活字体系を参考に整理した号数制は、そのサイズの関係性さえ覚えれば合理的な体系で、下記のような関係にある。金属活字というシステム自体が、写植と違って細かいサイズの違いを出せないことから考えると、ポイントという値による策定でなくとも充分実用的という考え方もできる。
和文号数制に於いて、五号活字は一辺の長さが二号活字の半分であり七号活字の2倍、つまり面積にして二号の1/4であり七号の4倍である。ゆえにルビや割り注(これらは親文字の1/4のサイズの文字が使われる)の際は、この縦の系列に沿って拾えば良く、一号に対しては四号、六号に対しては八号の活字が適合する。なお、八号活字はルビ専用であり、漢字は無かった。
- 当初は前述のとおり、中国の活字をほぼそのまま使ったという事情から倍数関係は整っていなかったようであり、本木の弟子たちの時代を経て、日本の金属活字時代を迎えて整備されていった模様である。
- 六・七・八号活字は本木ではなくその弟子たちによって整備された。また、初号活字を制定したのは本木だが、活版システム開発の当初は初号活字というサイズは当初存在せず、一号よりも大きな活字が必要となったため、途中から追加された為に「一」の上の値として「初」となっている、と言われる。)
隆盛と衰退
その後活字は大いに隆盛を迎えたが、写植の登場によって廃れ始め、現在活字を使う場面は僅少になっている。しかしながら手書き以外の手段による文字を広く活字と言うように、より広い意味を既に獲得していると言えよう。また、平版印刷では用を為さない、連続伝票への印字などでも活字は使われている。(写植文字でも凸版印刷はできるが、少部数では非効率)
文字の物質性
その発生当初より、文字は筆記具などによって紙や板・岩などの平面に書字・刻印などがされるものであって、物体としての「モノ」ではなかった。整版印刷などにおいて文字が印刷されるときには、それらの文字は平面上に連続しており、インクをつけて刷るために鏡像になっていること以外は、浮き彫りの彫刻と同等であったと言える。活字は一字ずつが分解されることによって、人間に文字というものの新たな性質を教えた。それは文字単位で分解して手に取って見ることができるという、いわば文字の物質性とでもいうべき性質であった。
人間の意志の表現手段である文字を、手で扱って組む、という行為に魅せられた者は多く、単に印刷結果としてではなく活字そのものを愛好する。中里介山は『大菩薩峠』の単行本の刊行に際し、最初、自ら活字を拾って組版を行い、活版で印刷・発行していた。(のちに需要に追いつかなくなり、出版社からの発行に移行した)
関連項目
フォント 写真植字 活字合金 サンセリフ 本木昌造
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