使徒
使徒(しと、希:apostolos。「使者」の意)とは、元来、イエス・キリストの高弟(または、それに近い存在)を指す日本のキリスト教用語である。西洋語の apostle 等とは若干意味が異なるようである。イスラム教においては、ラスール(rasūl, رسول)という語が同じく「使者」の意であり、キリスト教の使徒と似た意味に用いられて、訳語として「apostle」や「使徒」があてられている。
キリスト教における使徒
一般に、イエス・キリストの弟子や初期キリスト教の指導者を指す語だが、厳密な定義は困難である。新約聖書内では、特に「十二人」を指す場合が多い。初代教会の時代には、一種の称号であったらしい。イエスの直接知っていた指導者を指すと考えると、パウロは使徒とは呼べないが、パウロは自らを使徒と呼んでおり、エルサレム教会がこれを追認したことを書簡中で匂わせている。またパウロは「主の兄弟ヤコブの他の使徒には会わなかった」と記し、ここから使徒の呼称が必ずしも12使徒に限られないことが示唆される。
中世のキリスト教ではある地域に初めてキリスト教を伝えた人物に「使徒」の称号を冠することが一般的である。ローマ・カトリックではこれを使徒と呼び、東方正教会では亜使徒(Equal to the apostles, 使徒に順ずる者の意)と呼ぶ(例:スラブの使徒またはスラブの亜使徒キリルとメトディウス(メフォディ))。
十二使徒
イエス・キリストが自分のかたわらに置くため、また各地に派遣して宣教を行うために選ばれた高弟たち。「十二使徒」、「十二弟子」とも呼ばれるが、新約聖書内では単に「十二人」と呼ばれることが多い。イエスから悪霊を払うための権能を授けられた。12という数字は、イスラエルの12部族に倣ったものと思われる。12名がすべての名が挙げられているのは、マタイによる福音書(10:1-4)、マルコによる福音書(3:14-19)、ルカによる福音書(6:13-16)、使徒行伝(1:13)である。ヨハネによる福音書には、12人の存在は語られるが、内数人のみの名が挙げられている。他に、コリント書(15:5)、ヨハネの黙示録(21:14)など。使徒行伝によれば、イスカリオテのユダによる欠員をマティアで埋めた(1:21-26)。『ヨハネによる福音書』にのみ名前の見えるナタナエルは、伝承では同書に言及のないバルトロマイと同一視される。
福音書によって構成員の名前が異なること、ほとんど言及されない人物もいること(後掲の図参照)から、イエス時代の史実でないと考える研究者もいる。原始教会時代、「12人」はエルサレム教団内の一種のグループ名あったようで、実際には12人いたわけではなかった可能性もある。
| マルコ伝 | マタイ伝 | ルカ伝 | 使徒行伝 | ヨハネ伝 | |
| シモン・ペトロ(B1) | シモン・ペトロ(B1) | シモン・ペトロ(B1) | シモン・ペトロ | ヨハネの子シモン・ペトロ(B1) | |
| ゼベダイの子ヤコブ(B2) | ゼベダイの子ヤコブ(B2) | ゼベダイの子ヤコブ | ヤコブ(B2) | ゼベダイの子たち(!)(?) | |
| ヨハネ(B2) | ヨハネ(B2) | ヨハネ | ヨハネ(B2) | ゼベダイの子たち(!)(?) | |
| アンデレ(B1) | アンデレ(B1) | アンデレ(B1)(!) | アンデレ(!) | アンデレ(B1) | |
| フィリポ(!) | フィリポ(!) | フィリポ(!) | フィリポ(?) | フィリポ | |
| バルトロマイ(!) | バルトロマイ(!) | バルトロマイ(!) | バルトロマイ(!) | ||
| マタイ(!) | 徴税人マタイ | マタイ(!) | マタイ(!) | イエスに愛された弟子 | |
| トマス(!) | トマス(!) | トマス(!) | トマス(!) | ディディモ・トマス(?) | |
| アルファイの子ヤコブ(!) | アルファイの子ヤコブ(!) | アルファイの子ヤコブ(!) | アルファイの子ヤコブ(!) | ||
| タダイ(!) | タダイ(!) | ||||
| ヤコブの子ユダ(!) | ヤコブの子ユダ(!) | ||||
| シモン(!) | 熱心党のシモン(!) | 熱心党のシモン(!) | 熱心党のシモン(!) | ||
| ナタナエル | |||||
| イスカリオテのユダ | イスカリオテのユダ | イスカリオテのユダ | イスカリオテのシモンの子ユダ | ||
| マティア |
レオナルド・ダ・ビンチによる壁画「最後の晩餐」は左から以下の通り: バルトロマイ(ナタナエル)、アルファイの子ヤコブ、アンデレ、ユダ、シモン・ペテロ、ヨハネ。イエスを越して、トマス、ゼベダイの子ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、熱心党のシモン。
イスラム教における使徒
イスラム教においては、使徒(ラスール)とは、神の預言を託され、ある特定の共同体(ウンマ)に遣わされて新たな律法を伝える使命を啓示された者のことである。そしてムスリム(イスラム教徒)にとってはムハンマドはイスラームの共同体に遣わされた使徒に他ならず、その事実を信じることがイスラム教の根幹のひとつである。そのため、シャハーダやアザーンには「ムハンマドは神の使徒なり」という文言が加えられている。同様にイスラム教徒はムーサー(モーセ)をユダヤ教徒の共同体の使徒、イーサー(イエス)をキリスト教徒の共同体の使徒であったと見なす。
イスラム教徒の中には、律法を伝え、使命を啓示されている点で使徒を預言者(ナビー)と区別するとする考え方もあるが、一般には「使徒」と「預言者」は同義であるかのように用いられ、ムハンマドは神の使徒とも預言者とも呼ばれている。