丹後国
丹後国 (たんごのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の京都府北部にあたる。北丹と呼ぶこともある。
沿革
和銅6年 (713年) 4月3日に、丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡(後の中郡)、竹野郡、熊野郡の五郡を割いて、丹後国を置いた。
和名類聚抄によれば、平安時代の国府は加佐郡にあった。現在の舞鶴市内と思われる。中世には与謝郡にあり、現在の宮津市府中と推定される。はじめから与謝郡に国府があったという説もある。いずれも遺跡は見つかっていない。
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丹後国丹後国 (たんごのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、山陰道に位置する。現在の京都府北部にあたる。北丹と呼ぶこともある。
沿革和銅6年 (713年) 4月3日に、丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡(後の中郡)、竹野郡、熊野郡の五郡を割いて、丹後国を置いた。 和名類聚抄によれば、平安時代の国府は加佐郡にあった。現在の舞鶴市内と思われる。中世には与謝郡にあり、現在の宮津市府中と推定される。はじめから与謝郡に国府があったという説もある。いずれも遺跡は見つかっていない。
関連項目 京丹後市(旧・丹後町) 令制国一覧 |
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