保元の乱
保元の乱(ほうげんのらん、1156年(保元元年7月))は、崇徳上皇と後白河天皇が対立し、上皇側に天皇側が奇襲を仕掛けた事件。
上皇側には藤原頼長以下、源為義(義朝の父)、源為朝(義朝の弟)、平忠正(清盛の叔父)らが、天皇側には、源義朝(源頼朝の父)、平清盛、藤原忠通、信西(藤原通憲)らが参戦し短時間で天皇方が勝利した。
当初、上皇側では為朝ら武家が夜討を主張したが、頼長らの公家が、皇位をかけた戦いは白昼堂々と行うものだ、としてこれを退けた。そして逆に天皇側から夜討を受けて敗北した。
上皇側の頼長は戦死、為義、忠正ら主要武将は六条河原にて、打ち首にされた。また、崇徳上皇も讃岐に流され、京に帰れぬまま不遇の最期を遂げた。為朝は逃れたが、後に捕まり、自慢の弓を射ることができないようにされてから伊豆大島に流された。
保元の乱を題材にした文学には、軍記物の『保元物語』がある。