松平定信
松平定信 (まつだいら さだのぶ、1759年1月15日(宝暦8年12月27日) - 1829年6月14日(文政12年5月13日)) は、江戸時代の政治家。田安宗武の子で、江戸幕府第8代征夷大将軍徳川吉宗の孫。後に白河藩主松平定邦の養子となり、1783年に家督を継ぎ、藩主となる。
藩政建て直しの手腕を買われ、1787年に老中首座に就任。在職中、祖父吉宗の享保の改革を手本に寛政の改革を行う。
しかし、その内容が庶民にとってあまりに時代とかけ離れた圧政であったため、すさまじい非難を浴びることになる。
前の為政者である田沼意次と比較され『白河の清きに魚も棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき』とまで言われ嫌われた。
1793年に辞職。
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