本多勝一
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本多 勝一(ほんだ かついち、1932年3月28日 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県出身。 千葉大学薬学部を卒業して薬剤師免許取得後、京都大学農林生物学科。
元朝日新聞記者で、多くの著書がある。特に有名なのは、中国で取材した南京大虐殺についての連載記事をまとめ直した『中国の旅』で、これは連載当時から大きな反響を呼んだ。
その一方、『カナダ=エスキモー』、『ニューギニア高地人』、『アラビア遊牧民』といった自然人類学系のルポでも知られる。 これらは、短期間とはいえ現地で実際に生活を共にした上で取材したものである。新聞記者には珍しい理科系出身者で京都大学では探検部の創設にかかわり、今西錦司、梅棹忠夫といったいわゆる今西学派と親しい事から、むしろこうした分野が原点であり真骨頂とも言える。
日本語に対する関心も深く、『日本語の作文技術』『実戦・日本語の作文技術』では、読点の打ち方や一つの被修飾部に複数の修飾部を必要とする場合の並べ方といった、分かりやすい日本語を書くための文章の書き方を明確にルールとして提唱している。また、独自の観点からアメリカ合衆国を「アメリカ合州国」と呼ぶ、桁数の多い数字は4ケタごとにカンマで区切る、といった独特の用語・用字法を用いることでも知られている。
朝日新聞社を退職後、1993年に筑紫哲也、椎名誠らと『週刊金曜日』を創刊し、現在同誌の編集委員を務めている。
批判
上に挙げた『中国の旅』では、中国当局から紹介された人々からの聞き取りをそのまま載せているため、大虐殺否定論者などからは「中国の主張を無批判に伝えている」と攻撃されることが多い。
勿論、当時は文化大革命の時期であり、当局と異なる見解を話せる状況ではないことを考慮すべきであったであろう。
『中国の旅』にて「南京大虐殺」で「百人斬り」競争があったとする記事内容については、百人斬りをしたとされる軍人の遺族3人から、無根の報道をされたとして、朝日新聞社等と共に謝罪や損害賠償を求める訴訟を起こされている(現在裁判中)。
また、カンボジアでのクメール・ルージュによる自国民大虐殺について、本多勝一は当初懐疑的だった。そのため、記事や著作の一部で、クメール・ルージュの上層部が事態に関与していない可能性を匂わせていたこともあった。 これに加えて、そのような記事(「カンボジア革命の一側面」など)で“プノンペン陥落と同時に市民への大虐殺が行われた”などという当時の怪情報を否定しているため、“本多勝一はカンボジアの大虐殺を否定していた”と誤認されたという見解もある。
しかし実際には飽くまでも懐疑的立場であって否定ではなかったと言う見方もある。また、日本国内でカンボジア大虐殺への否定的意見がまだまだ強かった時点で、いち早く『カンボジアはどうなっているのか?』などの著作によりカンボジアの異常な状況を世に知らしめたと擁護する意見もある。
また、「カンボジア革命の一側面」などの自著の内容を、時代の変化に合わせて断りなく書き換えたことを批判する向きもある。
例えば、以下は「カンボジア革命の一側面」の書き換えの一例である。
「例によってアメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」などは全くウソだったが(それを受けて宣伝した日本の反動評論家や反動ジャーナリストの姿はもっとこっけいだったが)、しかし末端にはやはり誤りもあったようだ。」
→
「アメリカが宣伝した「共産主義者による大虐殺」によって全市民がただちに虐殺されたとも思われぬが、すべては鎖国状態の中にあっては事実そのものが全くわからず、噂や一方的宣伝ばかりでは軽々に論じられない。」
その他、括弧の付加・除去、名詞の前に「自称」という字句を挿入、「~とされている」、「~はずである」、「少なくともタテマエとしては」などの字句の挿入、「全くウソだった」、「深い感動を覚えながら」、「驚いた」などの削除、「大問題だ」、「強く批判してゆくべきだ」などの挿入も多数行なっている。
例:『中国の旅』
この宣伝隊はプロレタリア文化大革命中に各地で組織され、修正主義追放に重要な役割を果たした。
→プロレタリア文化大革命中に各地で組織され、「修正主義追放」に重要な役割を果たした。
外部リンク
週刊金曜日ホームページ 本多勝一研究会 - 本多勝一批判のサイト
参考文献
体験的本多勝一論―本多ルポルタージュ破産の証明 出版社: 日新報道 ; ISBN: 4817405546 ; (2003/10)
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