中国国民党
中国国民党(中國國民黨 拼音;: Zhōnggúo Gúomíndăng)は中国・台湾の政党。英語表記のKuomintangからKMTと略す場合もある。2004年現在、中華民国の野党第一党で、主席は連戦。1949年以来現在に至るまで、中国国民党は台湾を活動の拠点とし、それ以前の活動の拠点であった中国大陸では実質的な政治活動を行っていない。そのため、実際に即して台湾国民党へ改名するべきであるという主張も存在する。
歴史
1914年に東京で結成された中華革命党を母体として、1919年に、広東において孫文等により結成された(単なる「改組」である、との評価もある)。同年の五四運動に民衆の政治意識の高揚を読み取った上での、孫文の決断である、結成された当初の主要メンバーは、孫文の他、汪兆銘(汪精衛)など。なお、宋教仁により1912年に結成された「国民党」は、別の政党である。
1924年には、中国共産党との第一次国共合作を成し遂げ、軍閥に対抗するための素地ができた。孫文の死後、五・三〇運動を背景にして、汪兆銘を主席とする広東国民政府を樹立、1926年には、北伐を開始した。1927年に、蒋介石の上海クーデターにより国共合作は崩壊したものの、北伐は継続され、1928年には北京に入城し、北京政府を消滅させることに成功した。
北伐の完了を受けて、1928年に、南京に蒋介石を主席とする国民政府が成立した。しかし、その内実は、北伐の過程で、各地の軍閥を取り込んだ、雑居政党となっており、それらを整理しようとする蒋介石の動きを1つの契機として、その後、1930年頃の中原大戦を頂点とする、党内対立の激化が起こり、最大の危機を迎えることになる。
1932年には、強大な軍事力とブルジョアジーの支持を背景に、蒋介石はなんとかその危機を乗り越えるが、他方で、その間の中国共産党の勢力回復や満州事変以降の日本による侵略に脅かされることになる。
蒋介石は、抗日よりも反共を優先し、1930年から1934年にかけて、5次にわたる反共囲剿戦を繰り広げるも、共産党を消滅させるには至らなかった。1936年には、西安事件で、なお中国共産党と協力した抗日に徹底的に反対する蒋介石が軟禁され、これが、国共の接近をもたらした。
1937年に日中戦争が開始され、同年第二次国共合作が成立。同年末に南京が陥落すると、国民政府は、奥地の重慶にうつり、日本の攻撃をしのいだ。
1945年に日本が戦争に敗れ中国本土から撤退すると、国共内戦が開始されるが、中国共産党に対する劣勢は明らかで、1949年には、国民政府(中国国民党)は、内戦に敗れて台湾島に逃れた。このため中国国民党の実質統治範囲は、建国以来の福建省(馬祖・金門)と、1945年の日本敗戦後に連合国として統治していた台湾だけとなった。
現在は、台湾における中国国民党の独裁は廃され、民主化されている。
外部リンク
中国国民党全球資訊網(中国語) 『國民新聞』 国民党関連記事索引 (ページ下部)
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