清寧天皇
清寧天皇(せいねいてんのう、444年? - 484年1月16日)は古墳時代の第17代天皇(在位480年1月15日 - 484年1月16日)。名は、白髪皇子(しらかのみこ)。
系譜
雄略天皇の第三皇子。母は、葛城韓媛(かつらぎのからひめ)。
略歴
480年、雄略天皇の崩御にともない即位。即位の折りには兄の星川皇子の間で後継争いが行われたがこれに勝ち即位。子がいなかったのを気に病んでいたが、履中天皇の皇子・市辺押磐皇子の子、億計王(おけ、後の仁賢天皇)、弘計王(をけ、後の顕宗天皇)を発見し、億計王を立太子させ、弘計王を皇子とした。
484年に、病気で崩御した。年は不明。
諡号・追号・異名
別名を白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)と言う。
陵墓・霊廟
河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)に葬られた。大阪府羽曳野市西浦6丁目の前方後円墳に比定されている。
関連事項
日本書紀 古事記
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