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中国共産党

中国共産党Chinese Communist Party, ちゅうごくきょうさんとう)とは、中華民国台湾移転以前)および中華人民共和国における、共産主義政党。中国共産党は現在、指導思想として、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、さらに江沢民が提唱した思想理論「3つの代表」を掲げ、一党独裁体制を維持している。略称は中共。現在、6000万人以上の党員を抱える世界最大の政党である。

歴史

中国共産党の歴史は、まさに現代中国の歴史と言える。

1921年7月コミンテルンの主導により、陳独秀や毛沢東らが各地で結成していた共産主義組織を糾合する形で、上海にて結成された。一般には、創立党員は57名とされるが、57名の名前が明確に示された文献はなく、本当に57名であるかは定かではない。また、結成時に上海に集まった党員は13名であるが、公式記録では、12名とされているらしい。
なお、創立党員で、中華人民共和国建国まで生き残り、かつ、死ぬまで中国共産党内での名誉を保ちつづけた者は、毛沢東を除くとほとんどいない。

中華民国期には、中国国民党と、時に協力し(1924年の第一次国共合作)、時に敵対し(1927年蒋介石による4・12クーデター(上海クーデター)により国共分裂)、軍閥および日本との戦いを続けた。
当初は、コミンテルンの指導が強く、また、ソ連への留学生が中国共産党の中心勢力であった。そして広大な農村社会を抱える中国の特殊性を理解していないコミンテルンの指導に忠実に従ったために、第一次国共合作に固執しすぎたり、また、国共分裂後は、極左冒険主義に走りすぎ、一方で並行して、中国国民党からの熾烈な

白色テロの標的ともなったため、中国国民党と比較しても、十分な抵抗勢力とはなりえなかった。
このような中で毛沢東は都市ではなく農村に拠点を置き、やがては都市部を包囲していこうという戦略を取り始めた。毛沢東のグループは江西、福建、湖南で勢力を拡大させ、1931年には瑞金で中華ソビエト共和国臨時政府を樹立する。しかしこの時期、上海から移動してきたソ連留学組によって指導権が簒奪され、その下で国民党軍の包囲攻撃に抗する事ができず、1934年から長征に出ることとなった。その過程で開催された遵義会議(1935年)において毛沢東の指導権が確立し、陝西省延安に拠点を築いた。1936年西安事件(西安事変)をへて、1937年第二次国共合作を成立させ、日本を中国大陸から駆逐し(1945年)、ついで、国共内戦により中国国民党を駆逐し、1949年には、中華人民共和国を建国した。

中華人民共和国の建国によって政権党となった中国共産党だが、安定的に発展することはできなかった。当初、ソ連をモデルとして社会主義建設が始まったものの、1956年のスターリン批判以降はソ連共産党との関係が悪化、1960年からは公開論争にまで発展する(中ソ論争)。このころから中国共産党は独自路線を歩み始めるが、党内部では反右派闘争、大躍進運動、文化大革命など路線闘争、権力闘争は絶えず、劉少奇、林彪革命の英雄たちが姿を消していった。1976年に毛沢東が死去すると、文化大革命は収束に向かい、文革派の四人組は逮捕され、華国鋒体制が過渡的に成立し、77年には文革の終結が宣言された。  

78年12月の第11期3中全会では、最終的に鄧小平体制が確立し、それまでの革命路線から改革開放、現代化路線へと大きく転換した。1981年には文化大革命を完全に否定、毛沢東の誤りを一部認める(「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」)。改革開放の流れの中で党の指導体制は弛緩し始め、80年代後半からは党機構と行政機構の分離も盛んに議論されるようになったが、1989年に起きた天安門事件後は保守派が息を吹き返し、党の指導体制が再び強化されることになる。しかし、それによってこれまで続いてきた経済成長がスピードダウン、1992年冬に行われた南巡講和の中で鄧小平は「改革開放を加速せよ」と指示を出し、同年10月の14全大会では社会主義市場経済が打ち出された。鄧小平死後の1997年9月の15全大会では、鄧小平理論を指導思想と確立し、社会主義の初級段階における党の路線が確立されると同時に、名実ともに江沢民時代に入った。2002年11月の16全大会では、江沢民が提唱した私営企業家の入党をも認める「三つの代表」重要思想が規約に明記されるとともに、江沢民から胡錦涛体制へと移行、第3世代から第4世代へ世代交代が初めて平和的に実現した。しかし、江沢民は依然と中央軍事委員会主席の地位にとどまり、睨みを利かせている。2020年までにGDPを2000年の4倍とし、全面的な小康社会を実現するという目標を打ち出しているが、今後、政治の民主化を遅らせつつ一党独裁体制を継続していけるかが注目されている。また、私営企業家の入党許可は階級政党から国民政党への脱皮を意味しており、党のあり方そのものが問われる重大事件であった。  

新中国建国後の歴代の党トップは、毛沢東(主席)、華国鋒(主席)、胡耀邦(主席→総書記)、趙紫陽(総書記)、江沢民(総書記)、胡錦涛(総書記)である。 

党の機構

• 中国共産党の最高指導機関は、5年に1度開催される全国代表大会である。閉会期間中は大会で選出された中央委員会(毎年少なくとも1回開催)がこれを代行する。中央委員会全体会議は、中央政治局委員、中央政治局常務委員、中央委員会総書記を選出し、中央書記処メンバーを選出する。 • 中央政治局と常務委員会は党の最高意思決定機関であり、中央委員会総会の閉会期間に中央委員会の職権を行使する。総書記が中央政治局会議、中央政治局常務委員会会議を招集する。現在、政治局委員は24人、候補委員1人。うち、政治局常務委員は胡錦涛(総書記)、呉邦国、温家宝、賈慶林、曽慶紅、黄菊、呉官正、李長春、羅幹の9人で、党の最高指導部を形成している。毛沢東時代には形骸化し、毛沢東の恣意的な決定が頻繁になされた。そして鄧小平時代になっても、こうした傾向は継続したが、現在では改められている。 • 中央書記処は、中央政治局のもとに設置された日常活動を処理する事務機関。総書記が中央書記処の活動を主宰する。現在、書記は曾慶紅ら7人。 • 中央軍事委員会は、国家中央軍事委員会と一体となって人民解放軍を指揮する軍事の最高機関。事実上、中国人民解放軍は党が指導する軍隊である。現在の委員は8人。うち、主席は江沢民。副主席は胡錦涛、郭伯雄、曹剛川。 • 中央規律検査委員会は、党の規律検査を担当する機関。委員は全国代表大会で選出される。書記は呉官正。

  党の直属機関として、組織部、宣伝部、統一戦線工作部、対外連絡部、弁公庁、政法委員会、政策研究室、台湾工作弁公室、中央党学校、人民日報社など20の機関が設置されている。   党の地方組織は、地方各級ごとに代表大会、党委員会、常務委員会、書記などが置かれている。中央と同じく、任期は5年。

党員

中国共産党員は中国社会のエリートであり、行政、立法、司法、軍、大衆組織など、社会のあらゆる部門に末端組織である党組を設け、指導している。しかし、改革開放時代に入り、イデオロギーの持つ社会的意義が低下すると、党員は政治活動よりも金儲けに精を出すようになり、腐敗も深刻化している。とはいえ、今でも書店にはマルクス・エンゲルス全集、レーニン全集、毛沢東選集、鄧小平文選が並べられ、彼らの肖像画も売られている。



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