毛利氏
毛利氏(もうりし)は、相模国愛甲郡毛利よりおこった武家の一族で、大江氏の流れを汲む。安芸国へ移った後、大きく飛躍し、戦国時代には中国地方を制圧した。江戸時代は二カ国に減封されるも、後に明治維新を成就させた。
毛利元就以前
大江広元の子孫と伝えられる。;大江氏系図には
- 大江広元─大江季光(毛利四郎、安木守、尊卑分脈には毛利入道と)
- ┌───────┘
- ├毛利広光─章弁─公恵
- ├毛利経光─毛利経元─毛利経親
- └毛利師雄─毛利元親─毛利時元
- 季光─毛利経光─毛利時親─毛利貞親─毛利親茂─毛利師親
- 毛利時親─毛利貞親─毛利親衡(初め親茂、祖父時親、父貞親共に晩年、安芸国に下向。この人より安芸国に在住。南北朝時代の人)─毛利元春(師親)─毛利広房─毛利光房─毛利熈元(熈房)─毛利豊元─毛利弘元─毛利興元─某(幸松丸)─毛利元就(実は毛利弘元次男、毛利興元弟)
毛利元就
毛利元就のとき、1555年、大内義隆に謀反した陶晴賢を厳島の戦いで破って大内氏の旧領を手中にした後、仇敵の尼子氏を滅ぼして中国地方(安芸、周防、長門、備中、備後、因幡、伯耆、出雲、隠岐、石見)を制覇した。長男は毛利隆元、次男は吉川元春、三男は小早川隆景であり、毛利両川として名高い。
毛利元就以後
毛利元就の孫の毛利輝元は豊臣秀吉に属し、安芸、周防、長門、備中半国、備後、伯耆半国、出雲、隠岐、石見を領し、安芸郡山城から広島城へ移る。後に五大老に就任したが、関ヶ原の戦いで西軍の名目上の総大将に担ぎ上げられて、敗戦後、責任を問われ周防国・長門国(長州藩)に減封された。江戸時代末期、毛利敬親のとき幕府から圧迫を受けたが、良く持ちこたえて明治維新を成就させた。
毛利元就の息子達