松平春嶽
松平春嶽(まつだいらしゅんがく (1828年10月10日 - 1890年6月2日、文政11年9月2日 - 明治23年6月2日)は、越前藩主、政治家。名は慶永(よしなが)、号は春嶽。田安徳川家当主、徳川斉匡の子。松平斉善の養子。
ペリー来航後、海防に関する意見を幕府に提出。また、一橋徳川家当主、一橋慶喜(徳川慶喜)の将軍就任を 後押し。側近の橋本左内に運動させるが、南紀派である大老 井伊直弼と対立。 南紀派の徳川家茂が将軍に就任すると、安政の大獄時に一橋派の春嶽は慶喜らと共に謹慎を命ぜられた。
文久二年七月九日、文久の幕政改革にともない新設の政事総裁職に就任。
公武合体に尽力した。
熊本藩出身の横井小楠を政治顧問に迎え、藩政改革や幕政改革にあたってかれの意見を重用した。
慶応三年には、薩摩藩国父・島津久光、前土佐藩主・山内豊信(容堂)、伊予宇和島藩主・伊達宗城 らと四侯会議を開き、長州の処分について話し合った。
維新後、新政府では内国事務総督、民部卿、大蔵卿などを歴任した。
関連項目
越前松平家 幕末の四賢候
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