戦国時代 (中国)
中国の戦国時代(せんごくじだい)とは、春秋時代に続く時代で、紀元前403年に晋が、韓・魏・趙の三つの国に分かれてから、紀元前221年に秦による統一がなされるまでを言う。この名前は兵書戦国策から取られている。どこを持って春秋と戦国の境目とするかは歴史家の間で意見が分かれている。晋の分裂以外にも呉越争覇戦の終結を境目とする意見などもある。
紀元前250年に秦に滅ぼされるまで周王朝はかろうじて命脈を保っていたものの、権威はまるで無くほとんど無視されるようになっていた。衰えながらも周にとりあえずの権威があった春秋時代とはここが違っている。
春秋時代には「天に二日無く、地に二王無し」が建前だったので、中原諸国は周の名目に敬意を払い、王号は称えなかった。ただし楚や呉と言った南方のそれまで周の文化圏に入ってなかった国は王号を称えていたが、戦国期に入ると中原諸国も周の名目など無視するようになり王号を称えるようになった。
戦国七雄
春秋時代には国の祭祀を絶つと国の祖先から呪われると言う考えから、国を占領しても完全に滅ぼしてしまう事はそれほど多くなく、また滅びても復興する事が良くあった。戦国時代に入ると容赦が無くなり、戦争に負ける事は国の滅亡に直接繋がった。そのような弱肉強食の世界で次第に七つの大国へ収斂されていった。その七つの国を戦国七雄と呼ぶ。 韓(紀元前403年 - 紀元前230年) 趙(紀元前403年 - 紀元前228年) 魏(紀元前403年 - 紀元前225年) 楚(? - 紀元前223年) 燕(紀元前1100年ごろ - 紀元前222年) 斉(紀元前1100年ごろ - 紀元前221年) 秦(? - 紀元前206年)戦国末期になってくると秦が圧倒的に強く、他の六国は単独では秦に対抗できないようになった。 この事態に対して考えられた方策が合従連衡である。合従とは六国が同盟して秦に対抗する事であり、連衡とは各国それぞれが秦と同盟する事である。合従は主に縦横家の蘇秦が画策したものであり、連衡は同じく縦横家で秦の宰相であった張儀が画策したものといわれる。結果、秦は六国の合従策を粉砕し六国を征服していった。
紀元前221年、秦は斉を滅ぼし中華を統一。戦国時代は終わりを告げる
関連項目
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