植民地
植民地(しょくみんち)とは、国外に移住者が移り住み、本国政府の支配下にある領土のこと。土地の権利取得については合法的になされるだけではなかったため、しばしば先住民と衝突を起こした。また先住者の独立運動が抑圧され、政治的な権利も同等ではなかった。この点で、本国と同等な政治権利を享有する「海外領土」と区別される。
ヨーロッパ諸国の植民地
マルコ・ポーロの『東方見聞録』、羅針盤の伝播、香辛料への渇望によりヨーロッパ諸国の東洋に対する関心が高まった。ポルトガルとスペイン
ポルトガルとスペインはイベリア半島におけるイスラム勢力に対する国土回復運動であるレコンキスタを達成した後、大航海時代の先頭を切って海外に進出した。スペインはコロンブスの新大陸発見後、中米のメキシコ、南米のペルーを中心とする大領土を獲得し、さらに太平洋を横断してフィリピン諸島の領有にも成功した。ポルトガルは早くからエンリケ王子の下でアフリカ西海岸の探検を続けていたが、喜望峰を発見すると、東洋における香料貿易の独占をめざしてインド洋に進出した。またマラッカの領有後はマカオ、長崎にまで貿易圏を広げ、一時は日本のキリスト教布教にも成功した。17世紀に入り、アジアで新教国オランダやイギリスとの競合に破れると、南米ブラジルの植民に注力する。しかし中南米の植民地はアメリカ合衆国独立の影響を受けて19世紀前半次々に独立した。 1494年のトルデシラス協定によりローマ教皇アレクサンドル6世が、大西洋上に西経46度の子午線を引き、東をポルトガル、西をスペインの領土とした。このため南米大陸では、ブラジルのみがポルトガル領となった。1529年のサラゴサ条約では東経134度線を境に、東がスペイン、西がポルトガルの領土とされた。
イギリスとフランス
イギリスの最初の植民地はイングランドが中世以来入植を繰り返してきたアイルランドといえるだろう。大航海時代の波に乗って北米大陸に植民し、ニューイングランド植民地が成立、さらに当初は交易を目的として東洋に渡った東インド会社はインドの諸勢力を巧みに操ってインドに植民地を広げる。七年戦争ではフランスと争い、カナダを獲得、インドからフランス勢力をほとんど駆逐した。19世紀始めのナポレオン戦争に勝利したイギリスは世界の海の覇権を握り大英帝国を建設することになる。その植民地はあまりにも多くてすべてを列挙することはできないが、東南アジアのビルマと海峡植民地(後のマレーシア)、中国の香港、流刑植民地として出発したオーストラリアとニュージーランド、アフリカではナイジェリア、南アフリカなどを植民地とした。イギリスはまたスペイン・ポルトガルから独立後の南米諸国やオスマン・トルコから独立した中近東諸国にも大きな影響力を持っていた。 一方フランスは当初、カナダのケベックとカリブ海のマルティニーク島、グアドループ島に入植したが、七年戦争でイギリスに敗れ、カナダを放棄した。西アフリカのセネガルも古くからのフランス植民地であった。19世紀になってイスラム圏であるアルジェリアと東洋の仏領インドシナ、南太平洋の仏領ポリネシアなどの植民地化に成功した。これら英仏の植民地も第二次世界大戦後民族独立の波に乗って次々に独立していった。 オランダも17世紀から18世紀にかけて植民地主義大国として活躍し、20世紀に入っても東インド植民地(インドネシア)を保持していた。このほか、ベルギーのコンゴ植民地、ドイツ帝国のタンザニア植民地などがあった。
日本の植民地
日本の最初の植民地は現在では完全に内地化された沖縄と北海道であると言えるかもしれない。その後、日清戦争で台湾、日露戦争で北樺太(サハリン)を領土とし、大連・旅順の関東州租借地を得た。さらに清国とロシアの影響力を排除した朝鮮を1910年に植民地化した。第一次世界大戦では南洋諸島が日本の委任統治領となり、1932年に成立した満州国も名目的には独立国であるとはいえ、日本の植民地同然であった。これら海外の植民地は第二次世界大戦の敗北によってすべて喪失した。
関連項目
ポルトガル海上帝国