清水徳川家
清水徳川家(しみずとくがわけ)は、徳川氏の一支系で、御三卿のひとつ。単に清水家とも言う。江戸幕府九代将軍徳川家重の次男徳川重好を家祖とし、徳川将軍家に後継ぎがないときは他の御三卿とともに後嗣を出す資格を有する。家格は徳川御三家に次ぎ、所領は10万石。家名の由来となった屋敷、清水邸は江戸城清水門内で田安邸の東、現在の北の丸公園・日本武道館付近にあった。清水家は実子の無かった初代重好以来、幼少の当主が多く、御三家に転出した当主が相次いだこともあって一時断絶を繰り返しており、御三卿の中で最も事績に乏しい家である。
明治維新後は華族に列し、伯爵を授けられたが、六代当主篤守は華族の礼遇に耐えられずとして1899年、爵位を返上してしまった。しかしのちに、日本最初の航空パイロットとして知られる篤守の嫡子好敏(七代当主)が陸軍中将にのぼり、1928年再び男爵の爵位を授けられている。
歴代当主
初代当主 重好
- 1795年、実子なく死去
二代当主 敦之助 (徳川将軍家から養子、十一代将軍家斉の子)
- 1799年、4歳で夭折
三代当主 斉順 (十一代将軍家斉の子)
四代当主 斉明 (十一代将軍家斉の子)- 1827年、19歳で夭折
- 1846年、和歌山藩十二代藩主として紀伊徳川家に入る
六代当主 昭武 (水戸徳川家から養子、十五代将軍慶喜の実弟)
明治維新後の清水徳川家当主
七代当主(伯爵) 篤守 (水戸徳川家から養子、六代昭武の甥)
- 1899年、伯爵位返上
- 1928年、男爵を授けられる
戦後の清水徳川家
九代当主 徳川豪英