柄井川柳
柄井川柳(からいせんりゅう、1718年10月 - 1790年9月23日)は、江戸時代の前句付点者、浅草新堀端・竜宝寺門前町の三代名主。本名は八右衛門(はちえもん)。別号に無名庵・緑亭 川柳。立机は宝暦7年(1757年)8月25日である。宝暦七年(1757年)8月25日、40歳の年に最初の『川柳評万句合(せんりゅうひょうまんくあわせ)』を出し、前句付点者として名乗りをあげた。
経歴
宝暦7年の立机以来33年間、没するまでに300万句の寄句を集め、当時の前句附点者の中でも際立った人気を集めた。しかし発足当時は寄句も少なかった。発足後、間もなく江戸で川柳の人気が高まったのは、入花が一句あたり十四文(のちに十六文)と他の点者より安く、また木綿一反など賞品もよくしたこと。選句眼と選句基準が時代に受け入れられたからとされる。さらに『川柳評万句合』『俳風柳多留』(柳樽)が刊行されたことで、その地位をゆるぎないものにした。 『誹風柳多留』は、初篇から二十三篇までが初代川柳の単独選句である。
- 木枯や跡で芽を吹け川柳(伝辞世)
川柳
単独で成立する付句が独立し、川柳が生まれた。個人の号からのちに「川柳」と称する文芸が興ったのである。江戸当時の無名の庶民が作ったとされる句が現在でも20万句ほど残されている。