三浦の乱
三浦の乱(さんぽのらん)は、1510年に李氏朝鮮で起きた、朝鮮居留日本人による反乱。李氏朝鮮は倭寇対策の為、対馬、壱岐の民になどに三つの港、釜山浦・薺捕(乃而浦)・塩浦を開港し、そこで交易を行う様に統制策を取っていた。しかしながら、交易が活発になると朝鮮の行政制度がそれに追いつかず、密貿易が増大する事になった。それに対し、李氏朝鮮の官僚達は圧力を加え、居留日本人に対する統制を強化していった。それに対して貿易で生計を立てていた日本人の不満は増大し、対馬の宗氏の支援を受け、約4万5000をもって暴動を起こした。
結果的にこの暴動は鎮圧され、駐留日本人は追放され、日本と朝鮮の間は断交状態になる。1512年の壬申約条により対馬との和解が成立し交易が再開されたが貿易港は乃而浦のみに制限され、日本人の駐留は禁止されるなど以前より制限されたものになった。