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春日一幸

春日一幸(かすがいっこう、1910年3月25日 - 1989年5月2日)は、政治家

1955年の統一社会党結成で左派に属し、1960年の民主社会党の結成に参加。1965年の日韓国会で国対委員長として自民党田中角栄幹事長とのパイプを築いた。

1967年、西尾末広委員長の辞任に伴い、西村栄一書記長が委員長に昇格。それに伴い、書記長に就任し、佐々木良作に国対委員長を譲った。

1969年には、佐々木国対委員長の書記長昇格に伴い、副委員長兼選対委員長に就任。

1970年、西村委員長の急死に伴い、春日が委員長に昇進した。佐々木書記長・竹本孫一政審会長を留任させ、国対委員長を池田禎治から塚本三郎副書記長に指名した事で、春日の29年に及ぶ党内支配が確立した。

1972年の第32回衆院選で20議席割れの大敗を喫し選挙戦を終える。他方では69~70年の公明党=創価学会の政教分離問題における池田大作の証人喚問の要求や、共産党宮本スパイ事件における宮本顕治の証人喚問の要求などで国会で追及し、春日節を披露するなどパフォ-マンスを繰り広げることでも有名だった。

1974年に目障りな佐々木書記長を副委員長に昇格させ、塚本三郎国対委員長に書記長に指名した。

1977年には竹本孫一政審会長に代わって河村勝を指名するなど活発に活動するも、委員長を佐々木良作に譲り、自らは常任顧問に昇格。以後佐々木、塚本両委員長の下で常任顧問として党内支配したが、永末英一委員長が就任した1989年に死去。




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