上海事変
上海事変(しゃんはいじへん)とは、1932年1月28日に起きた日中両軍の衝突である。
事件の発端
1931年9月18日、関東軍は満州の完全支配を目指して柳条湖事件を起こし、満州事変へとつながる。しかし、露骨な侵攻劇は各国からの反発を招くことは必至で、順調に事を運ぶためには世界の目を他にそらす必要があった。そこで考えられたことが、国際都市上海で事件を起こすことであった。計画者は上海公使館つき武官・田中隆吉、実行者は憲兵大尉の重藤憲史と「東洋のマハタリ」川島芳子。
事件の経過
川島芳子は中国人の殺し屋を雇い、1932年1月18日の夜、上海の馬玉山路を歩いていた日本人僧侶・天崎天山、水上秀雄と信者3人を襲わせた。水上は死亡し、2名が重傷を負った。中国の警官の到着が遅れたため、犯人は逃亡した。中国人が日本人僧侶を殺害したという事件は、日ごろから中国人に反感を抱いていた上海の日本人居留民の怒りを爆発させ、青年団が中国人街に殴り込みをかけ、各所で暴力事件が続発したため、上海市は戒厳令をしいた。上海の日本人を保護するために派遣されていたのは海軍陸戦隊の約1000人だったが、中国側は3万5千人だった。治安悪化で日本人が不安に駆られる中、田中隆吉の工作による発砲事件が引き金で、1月28日、日中両軍が戦火を交えた。
国際都市上海を戦場に変えた世界世論の注目を浴びた戦闘は、3月まで続き、その間、3月1日に満州国は建国宣言をして、当初の計画を全うした。