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三位一体

三位一体(さんみ/さんいいったい)は、キリスト教主教派(カトリック東方正教会プロテスタント等)の中心教義の1つである。4世紀に確立された。 ギリシャ語で(Αγία Τρίας)、ラテン語で(Trinitas)という。

教義

「父なる神」と「ロゴス(λογος)である子なるイエス・キリスト」と「使徒などに下された聖霊」(東方正教会では聖神)の3つが、皆尊さが等しく、神は固有の三つの位格(自立存在:希 υποστασις (hypostasis), 羅 persona)でありながら、実体(希 ουσια (ousia), 羅 substantia)は同一であるという意味。

これら3つの位格はしばしば簡潔に父と子と聖霊と言い表される。また、東方正教会では神における三つ自立存在(υποστασις)を強調するため、一の語を用いず、「聖なる三」(希 Αγία Τριάς:hagia trias. 日本ハリストス正教会の訳語では至聖三者)という。

東方正教会ではアンドレイ・ルブリョフによる『至聖三者』の聖像が唯一正当な至聖三者の図像表現として認められる。

正統と異端

上記のようにキリスト教は三位一体を教義としている。
しかしこの教義はキリスト教の教義が確立するなかで形成されたものであり、最初期から明確に教義として保持されていたものではない。 このことが問題化するのは、4世紀になってからである。 はじめに父と子の関係をめぐり教義論争が起こった。さらに聖霊の位置付けが問題となった。 この論争の帰結がニカイア・コンスタンティノポリス信条であり、三位一体論が教会の教義として採択された。 三位一体の教義は古代より現代に到るまで、ある宗派を異端か否かを分けるもっとも重要な分かれ目のひとつである。

論争で敗北した非三位一体諸派は、異端として教会を破門された。皇帝および一部地域には後者を支持するものもあり、とくにアリウス派はゲルマニアなどに布教したが、内部分裂もあり、またアタナシウス派が勢力を伸ばし、衰退したため、集団としては歴史から姿を消した。

なお近現代に起こったキリスト教系新興宗教の諸派には三位一体を否定するものがある。

歴史

第1回ニケア公会議

キリスト教が広がる過程で、教理解釈のさまざまな異論が生まれていった。4世紀初め頃、アレイオスによって説かれた「御子は御父と同一の実体ではなく(έτεροούσιος)神性を持たない」と考えるアリウス派が、当時は神学において首位を担っていたアレクサンドリア学派と激しく対立した。教理の混乱に収拾がつかず社会問題にまで発展したため、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世公会議を召集、325年第1回ニケア公会議において、アレクサンドレイア教会助祭アタナシウスらの論駁により、アリウス派側が異端として敗北した。アタナシウスはさらに書簡などの中で、聖霊が御父と同一の実体(同本質:όμοούσιος)とすることを説いた。後、彼はアレクサンドリア教会の総大主教に叙階され、三位一体の教理の創始者の第一人者となった。

ニカイア・コンスタンティノポリス信条

4世紀後半から5世紀の初め頃には「聖霊は神性を持たない(Pneumatomachi)」とする考えが、ヘレスポントスに隣接している国々のマケドニア人の間で普及した。そして、御父と御子と聖霊の実体は同本質ではなく類似(όμοιούσιος)とする類似派、「御父と御子と聖霊は、一つの神の性質に過ぎず、御父みずから受肉(籍身)しキリストとなった」と考えるサベリウス派などが現れた。これらは、381年の第1回コンスタンチノープル公会議で異端として排斥された。そしてこの公会議の際、ニカイア信条は拡張されニカイア・コンスタンティノポリス信条が採択され、三位一体の教理はほぼ完成に達した。このときも、アレクサンドリア学派の教父ら(特にカッパドキアの三教父が知られている)が活躍したとされる。

フィリオクェ問題

しかしながら、ラテン系の西方教会において、ニカイア・コンスタンティノポリス信条がラテン語に翻訳される際、ギリシャ語本文の聖霊に関する箇所において、「父から発出する」を意味する "τού Πατρός εκπορευόμενον" を「父と子から発出する」の "ex Patre Filioque" と訳し、「子とともに」の Filioqueを付加した。Filioque とは、「子」を意味する名詞 filius に「ともに」を意味する接尾辞 qui が附加されたものである。ローマ司教会議は Filioque を正文と決定したが、公会議を通さずに行われたこの変更に、ギリシャ系の東方教会は強く反対した。これがいわゆるフィリオクェ問題(Filioque)である。フィリオクェ問題は、やがて東西合同で執り行われたフィレンツェ公会議で採り上げられ、一旦ギリシャ系の主教らは「父から子を通して」を承認したが、ロシア正教会は公会議に出席したキエフ主教を破門し、決議の承認を撤回した。 これによって東西教会の分裂はそのままにされることとなった。ローマ教会では トリエント公会議の第2回総会で、"Filioque" を加えたラテン語の信条が改めて承認された。

関連項目

反三位一体論


他の意味

日本では三位一体を、単に「3つの物を併せて」という程度の意味に使うこともある。 小泉総理が良く使う財政の「三位一体の改革」など。 三位一体は他力本願などと同様、日本では俗化された意味で使われることの多い宗教用語である。
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