水俣病
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水俣病(みなまたびょう)は公害病の一種。
1956年ごろに熊本県水俣市付近で発生したためこの名がある。この後、新潟県で発生した同様の公害病も水俣病と呼ぶ。ただし、区別するために新潟のものは第二水俣病または新潟水俣病(にいがた――)とも呼ばれる。
前記新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくと共に四大公害病の一つとして著名。
水俣市にある工場の廃水がメチル水銀(化学式CH3Hg)を含んでいたために発生した。水銀中毒により、手足のしびれが起き、その後歩行困難、痙攣、精神錯乱などを起こし、最後には死に至る。発病からは3か月で半数が死亡する。
原因
新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場の廃水の処理が十分でないまま海に流したため、付近で取れた魚介類を摂取した住民に水銀中毒の被害が出たものであり、とくに胎内で水銀中毒となった者の予後は不良である。
経過
初期の患者の多くが漁師の家庭から出たため、当初新日本窒素肥料などにより風土病との宣伝がなされた。その事が現在も差別や風評被害につながっている。1959年、熊本大学医学部水俣病研究班が原因はチッソ工場から排出される有機水銀中毒と発表した。しかし、チッソはこれを否定し、かなり後期になるまで会社、行政とも共に対策を怠った。政府が発病と工場廃水の因果関係を認めたのは1968年である。この遅延により被害が拡大した。水俣病と認定された患者には政府およびチッソから医療費等が支給されるが、政府による認定を受けられなかった患者の救済問題が生じている。
原因物質の名称
当初、熊本大学水俣病研究班は、原因物質は有機水銀だという発表を行った。これは、水銀中毒であることは確かだが、当時、メチル水銀が原因であるという確証が得られなかったことに起因する。しかし、じきにこの物質がメチル水銀であったことが判明した。ただし当時の文献や、それを引用した文献では、原因物質は有機水銀と表記されていることがある。
水俣病を描いた作品
石牟礼道子『苦界浄土』 Eugene Smith[MINAMATA]
関連項目
公害
外部リンク
国立水俣病総合研究センター(環境省) 水俣市立水俣病資料館 水俣病百科(熊本日日新聞)
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