松井石根
松井石根(まつい いわね、明治11年(1878年)7月27日 - 昭和23年(1948年)12月23日)、大日本帝国陸軍軍人。父親は旧尾張藩藩士、松井武國。孫文の大亜細亜主義に強く共鳴し、孫文の革命を支援。昭和8年(1933年)に大亜細亜協会の設立発起人となり(後に会長に就任)、同年8月には台湾亜細亜協会を設立した。また蒋介石とも親好があり、蒋が政治的に困難な際に時の日本の首相田中義一との会談を取り持ち事態を打開させたのも松井である。
軍紀に厳しいことで知られ、昭和3年(1928年)に起きた張作霖爆殺事件では、容疑者である関東軍河本大作の厳罰を要求した。
昭和15年(1940年)2月、日中戦争における日中双方の犠牲者を弔う為、静岡県熱海市伊豆山に興亜観音を建立した。
戦後、戦争犯罪人として逮捕。極東国際軍事裁判にいわゆるA級戦犯として起訴される。そして松井が司令官を努めた中支那方面軍が起こしたとされる南京大虐殺の責任を問われ死刑の判決を受ける。翌昭和23年12月23日に巣鴨プリズン内で処刑(絞首刑)が執行された。後年、他のA級戦犯と共に靖国神社へ合祀された。