日本統治時代 (台湾)
台湾における日本統治時代(台湾では日治時代、日遽時代と書く。なお日遽時代と書く場合は日本統治時代に対し批判的な意味合いを持つ。)は、日清戦争の結果、明治28年(1895年)に台湾が日本に割譲されてから、昭和20年(1945年)に太平洋戦争の結果、台湾が解放されるまでを指す。
台湾民主国の建国と崩壊
清は日清戦争に敗北すると、簡単に台湾を日本に割譲してしまった。しかし台湾に住む中国系移民の一部が清朝の判断に反発して「台湾民主国」を作り、日本への割譲に抵抗した。しかし日本軍が台北への進軍を開始すると、傭兵を主体として組織された台湾民主国軍はあっというまに総崩れになり、台湾民主国も崩壊した。だがその後も農村を中心に日本への抵抗運動は続き、日本軍はそれに対し厳しく対処した。
台湾統治政策の変化
台湾の統治に際しては総督府(台湾総督府)がおかれ、台湾総督がこれを運営した。当初は武官が台湾総督に任命され、独立運動や抵抗運動に対して強い圧力をかけていたが、政情が安定化するにつれ文官が統治における主導権を握るようになった。その結果、文官が台湾総督に任命されるようになった。台湾は日本にとっては初めての統治であるので、日本政府はかなりの情熱と資金をこの島に注いだ。後藤新平をはじめとした人材もその一つであり、日本は欧米から一目置かれるような統治経営を目指していたと言われる。
そのため、統治時代を通して台湾のインフラは飛躍的に整備され、現在の台湾の教育・民生・軍事・経済の基盤は日本によって建設されたものが基礎となっている。
日本統治の負の面
戦争になると台湾の豊富な食料物資は内地に供出せられ、高雄には飛行基地が建設され、内地の日本人と同様に台湾人も兵士や労働力として使用された。また日本人学校と台湾人学校の区別、チャンコロ(清国奴)という蔑称や支那人=豚観に代表されるような差別意識も一部には存在していた。なお皇民化教育・創氏改名(本来、「創氏改名」は朝鮮総督府の政策を指し、台湾では「改姓名」が正しい。しかし内容はほぼ同じである。)については「日本人と同等に扱うことで差別をなくすことが目的であったが、一部現地人役人による誤った運用や戦後の反日運動家による曲解や捏造などを左翼思想化したマスコミが取り上げて報道したことで"弾圧"であったと否定的に見るのが一般的とされてしまった」という意見がある。
また当時理蕃政策といわれた原住民に対する統治は、その過程において「霧社事件」など大小の蜂起が起こったが、最終的には原住民の懐柔に成功した。
戦後の評価
台湾では戦後、国共内戦の結果やってきた中国国民党が、それまで台湾に住む本省人を弾圧(白色テロ)した。1947年におきた二・二八事件はそのなかでも最大のものである。また大陸反攻を国是とし、軍事を優先とされたため、台湾省内のインフラ整備は後回しにされた。このため一部の本省人は「犬(煩いかわりに役には立つ)の代わりに豚(食べるばかりで役たたず)が来た」と大陸からやってきた人間を揶揄し、日本の統治時代を懐かしんだ。前総統の李登輝は国民党の独裁体制を廃し、台湾内での民主化を導いた。彼が総統の時代に作られた台湾の歴史教科書「認識台湾(歴史編)」では、従来地方史として軽視されていた台湾史を本国史として扱い、特に日本の統治時代を重点的に論じた。ここでは日本の統治時代を、『「苛烈な」時代ではあったが、今現在の台湾があるのは統治時代があったからだ』と総括した。
総統引退後の李登輝は、台湾の中華民国(中国)からの独立を訴えた。その中で彼は国民党の批判にあわせ、公然と日本の統治政策を評価し、支持者もそれに準じた。
その一方で台湾は中国の一部であると認識する勢力(親民党・国民党)は李登輝らの動きを売国的であると批判し、日本統治時代についても日本による搾取に過ぎなかったと位置付けている。
現在台湾で、日本の統治時代をどう評価するかについては、政策的な論点の一つとなっている。